手術

 「もう二度とこんな所には来んぞ(来ない)」と威勢よく啖呵を斬ったのに、もう戻ろうとしている。「殺してくれえ」と数時間叫び続けたくらい痛かったらしいから、気持ちは良く分かる。 何か重大な事態が発生すると息子さんが相談にやってくる。半年前に父親が癌の手術をしたときも、大きな病院を紹介した。最近また2cmの癌が見つかって、連続の心労に息子さんも参っている。相談しているときに前回の入院時のエピソードを教えてくれたのだが、手術はさすがに大変だったそうなのだが、何が悲劇と言って、麻酔が早く切れてしまって、目を覚ましてからの痛がりようが激しかったらしい。息子さんをして「手術なんかするもんじゃねえ」と言わしめるのも、あのエピソードの現場にいたからだ。息子さん曰く、痛いときには自分で操作して痛み止めの点滴が行われる装置があったらしいが、「痛いときにしたらいいと言うけれど、痛くないときがないんじゃから、どうしようもないが。無限にやっていいもんじゃないらしいから」と。又、医師や看護婦がなかなかやってきてくれなかった心細さも教えてくれた。  いつもは親孝行のこの字もない彼だが、さすがに父親の不幸を前にすると優しくなる。来るべき新たな癌の手術などについても質問されたが、それは医師の領域で僕には分からない。僕に出来ることは、不安な気持ちを口から出させてあげることだ。気が済むまで喋って帰ればいいのだ。ただ僕は彼が無口なことを知っているから、気が済むまでが人様の何分の一しかないことも知っている。案の定、10分もしたら帰っていったが、後ろ姿は入ってきたときの何分の一の重荷しか担いでいないように見えた。