身の丈

 まあ、何とも程度の低い国だ。収入の何倍もカードで金を借り、身の丈以上の生活をするのが当たり前なのだそうだ。それなりの教育を受けている人間でさえ、その危険を疑ったこともないらしい。物欲が生き甲斐と公言する。借金で贅沢な暮らしをする。勤勉な国の人間からしたら耐え難い、不道徳な国だ。たちが悪いのは、そんな人間の集団が、価値観まで世界中に輸出し、国々の文化や歴史を破壊し、食料を貧困層から奪った。どこの国にも似たり寄ったりの人間がいるみたいで、わずかばかりの数の人間の富のために、多くの貧困層を作り出す。余程コンプレックスが激しいのか、同胞を見捨てて太鼓持ちに成り下がる。  考えれば空しくなるからなるべく考えないようにしているが、やたらニュースでその種のことが伝えられるので、いやでも耳に入ってくる。気を持ち直して、今日大笑いした内容を一つ公開。  僕はある小さな漢方研究会の事務方をしているが、その中のメンバーのご主人が一昨日亡くなった。あるメンバーから漢方の処方について質問の電話があったとき、その事を伝えようとして、「○○先生のご主人が亡くなった」と連絡のつもりで伝えた。相手は「えっ」と答えたまま後が出ない。「○○先生のご主人」と重ねて伝えた。すると「○○は私ですがな」と声を落として答えた。なんて不吉な間違いをしてしまったのだろうと一瞬固まったが、相手も僕も同時に笑い出した。そして小さな笑いの壺に落ちて、お腹を抱えて笑ってしまった。悪意が全くないから、僕も責任は感じないし、相手も良くその事は分かってくれている。しかし、その事がきっかけで、ご主人を8年間世話しているという話を教えてくれた。会えばいつも気さくに付き合ってくれる人だから、微塵もそんな苦労を抱えているようには見えなかったが、色々と苦労話を吐露された。少しでもガス抜きになったかなと、失態を肯定する材料にこじつけた。  金がないのに買いあさる人間が繁殖している国と、じっと耐えて主人の介護をする人間がいる国と、どちらがより豊なのだろう。