精一杯

 明治生まれの4人の祖父母達は、それぞれ家庭の中で役割を持ち、最期まで不自由を経験せずに亡くなった。知的にも何ら衰えを感じなかった。どちらの家庭も3世代同居だったから、色々な確執はあっただろうが、老いても尊敬され大切にされていた。偶然だが、片や大工、片や鉄工所で、どちらも地域では名が通った職人だった。蛇足だが、その孫がめっぽう不器用なのだから、遺伝をそんなに心配することはない。世代をいくつか経験すれば、ガラガラポンで平均値になる。  父は最期は転倒し歩けなくなって、半年寝たきりになったが、それでも頭は冴えていた。時代遅れのことを言うことはあったが、思考力が落ちていることはほとんど感じなかった。母は、まだ身体は元気だし、頭の回転も嘗てとそんなには変わらない。  偶然幸運を頂いたのではなく、この地の人達はよく働くからか、老いて痴呆になる人は少ないように感じる。実際にそんな人には会わないし、相談も滅多受けない。老人施設に入っている人は勿論いるが、その人達にはそうなった理由を感じさせるものがある。どこかで緊張の糸が切れた人が多いような気がするのだ。田舎なのでほとんどの人を知っているが、ある程度の緊張感を持って暮らしている人にはその種のトラブルは少ないように思う。配偶者に先立たれた、定年を迎え仕事から離れた、自営業者が商店を閉めた、危ないからと外出を止められたなど、望んでもいないのに昨日との関係を断絶させられた人に多い。   都会に暮らす子供達に引き取られた老人が再び帰ってくることも珍しくない。断ち切られたものが多すぎて耐えられないのだ。海に帰った魚のように生き生きと自立して暮らしている。身体の衰えは時間でカバーできる。ゆっくりと時間をかければ出来ることも多い。しかし、拠り所を失っては生きていく理由を無くする。必要なのは快適なことではなく理由なのだ。存在する理由、存在すべき場所。それに優る活力源はない。大切なことは、終わりを準備することではなく、明日をどう生きるか、どう充実させるか、誰のために役立つかだ。それには年齢なんか関係ない。精一杯はどの世代にも当てはまるかけ声だ。