何を恐れているのか、何を気にしているのか知らないが、いやな夢を見た。想像力たくましいが、僕が見た直近の映像などにその種の要素はない。思い当たることがないのだ。漠然とした恐怖や不安感が静かに心の奥深くを流れていたのだろうか。  あれは明らかに、アメリカ軍だ。牛窓に上陸するから皆逃げろと言うことになった。いつの時代の兵隊か分からないが、確かに言えることは場所は牛窓って事だ。上陸場所が、牛窓港の沖だったし、僕が逃げ回ったのが、造船所跡地や、中学校の傍の入り江だったから。隠れたのも中学校の校庭の中にある浄化槽だったり、漁船の中だったりしたから。大仕掛けな夢にしては逃げ回った場所が如何にもローカル的で、僕の散歩道だ。しかし、見つかれば撃たれると言う夢の中の設定は、結構迫力があって必死で逃げ回っていた。何十年前の沖縄の人や、現代の戦場にいる人達はこんな恐怖を味わったのだろう。夢のなかでも恐ろしかったのだから、実際の恐怖は想像を絶する。  この10年くらい夢を見ない夜はない。別に悪夢を見るわけではないから、うなされることも滅多にないし、汗びっしょりで目覚めることもない。ただ言えることは、眠っていてもいつも頭のなかが働いているみたいで、それも甚だしく非生産的に空回りしているみたいで、熟睡感がまるでない。朝には疲労感はとれているから問題はないし、すぐ活動できるから便利と言えば便利だが、睡眠までが貧乏性かと我ながら情けなくなる。  問診で「夢は?」って質問することがよくある。「あまり見ません」とか、「よく見ます」とかの返事が返ってくるが、中には「○○になること」とか「○○へ行くこと」などと将来のことを答える人がいる。又「そんなものありません」と寂しげに答える人もある。たった一つの質問で、その人の現在がよく分かる。消すに消されぬ過去を背負い、無いと答える人には、夢は将来を開くものではなく、眠ってまでも解放されない場末の緞帳の臭いでしかないのだ。  「夢は?」「はい、夢を見なくてすむこと」