失敗

 これだけ役に立つならもっと一杯失敗しておけば良かった。裏目裏目で成功体験はあまり無いから、その種の体験が役に立つかどうかは知らない。そもそも色々な勉強会に行っても、自分とは遙かにかけ離れた立派な人や成功者の話ばかりで、最初から拒否してしまう。余程運が良かったのだろうとか、境遇が良かったのだろうとか、うがった見方ばかりして、勉強や努力をしました辺りの肝心なところは器用に聞き逃す術を身につけてしまった。優秀な生徒には優秀な先生が必要なのだろうが、僕らほとんどの人間はごく普通の生徒だから、そんなに高級な先生も話題もいらない。ごく普通の言葉で、ごくありふれた話を語ってもらえば理解できるし、気持ちも傾く。ラーメンがご馳走と思っている人間にフルコースは惨めな後口しか残らない。  話す言葉もよそ行きはいらない。普段ブレーキなしに出てくる言葉でいい。一言一句吟味しながら話されたりすると、その計算ずくの向こうのことまで思いをはせてしまう。取り返しのつかないライブ感がいい。修正の利かないところに真実が覗く。それしか信じられないし、又それだけを信じる。  我慢しても頬を伝って落ちてくる涙に優る言葉はない。涙の池に奇跡の笑顔が咲いたとき幸せが突然降ってくる。微笑みよりも顔を一杯崩した笑いがいい。気取ったって、人に好かれるわけでも尊敬されるわけでもない。満腹になるまで失敗し、ちょっとだけこそっと成功すればいい。ねたまれない程度にちょっとだけこそっと幸せになればいい。失うのが怖いほど幸せになる必要はない。