気配

 短い廊下の突き当たりのふすまを開けると、すでに8人の鍼の先生が狭い部屋にくっつくように座っていた。男ばかりで会話も弾まなかったのか、開けるまで人の気配はしなかった。牛窓での無料体験会を終えて、隣町での打ち上げに誘われた。如何にも民家の2階と言う造りの部屋に入ったのはいつからだろう。北側に面して日当たりが悪く、家の臭いがする。嘗てこの光景を延々と繰り返していた。出口のない洞窟に閉じこめられているような日々だった。だらしなく寝転がり、煙草を吹かし、その日その日を怠惰に塗りつぶしていた。  8人とうち解けるのに時間はいらなかった。そもそも鍼の先生になるくらいだから、王道を歩いてきた人などいない。どことなく生真面目で、どことなく不器用で、どことなく斜に構え、どことなく生きているような人なのだ。僕の小さな手伝いをとても喜んでくれ、僕も会の小さな成功をとても喜んだ。  弟子を一杯抱え、多くの有名人を治療する。時にマスコミの取材を受け、神の手などと評される。そんな特別はどうでもいい。ごく普通の人間は、財布の中身と相談しながら、やっとの事で治療にいけるのだ。そんなこと分かっているから何とか治したいと懸命に努力する。どこどこのおばちゃんが、どこどこのおじいさんがやってくるのだ。一生懸命働いたおつりが腰痛や関節炎なのだ。必死で育てた子供らは都会に出て立派にやっているが、盆も正月も帰ってこない。老夫婦がやっとの事で田畑を守っている。そんな不器用な子育てをした人を治すのだ。治って欲しいと思う心が治すのだ。想いがあれば勉強する。勉強すれば腕が上がる。ごくごく普通の道理が狭い部屋で料理に箸を伸ばす。  全員がいい顔をしていた。山を裸にせず、田に水をひき、空気も水も守る。おまけに人情まで守って、風景は織られていく。スポットライトはあたらない。喝采も起こらない。ためらいがちな夕焼けにせかされるように、僕は彼らと別れた。又きっと会うなと強い予感のなかで。