散髪

 学生時代、5年間散髪をしなかった。その癖で、牛窓に帰ってもちょっと格式を問われる会合に出席するのに合わせてしか散髪はしない。髪型を理髪店で指示したりお願いしたこともない。シェフにお任せ状態だ。椅子に座ってから出来上がるまでほとんど目を閉じている。鏡に映っている自分を眺め続けるのは照れくさい。  10分1000円で散髪をしてくれるというチラシが入ったので行ってみた。シャンプーもしないし、ひげも剃らないのでさすがに早い。はさみで切った後、バキュームカーみたいなホースで髪を吸い取られた。仕上がりは上手なのか下手なのか分からない。普通の散髪屋さんに行っても分からないのだから、そもそもそのことに関しては問題はない。もともと散髪自体が好きではないので、満足をした経験もないのだが。  薬剤師会から送られてくる資料に薬剤師の心得として清潔ってのがある。学生を受け入れて指導するときも、学生の身だしなみをチェックする項目がある。自分自身が出来ていないのだから、学生に指導なんておこがましい。遠くから漢方薬を取りに来ていた家族連れが、白衣が汚れていますよと注意してくれたことがあった。白衣は中を守るためにあるのだから汚れてなんぼと答えた。その家族はそれ以来こなくなった。  誰にでも好かれるように振る舞うのは難しい。その結果何を得られるのか分からないから、無理してまで好感をもたれる必要はない。それよりも、他人に迷惑をかけない範囲で自分の価値観を貫いた方がいい。そのほうが心も身体も楽だし、相手まで楽だ。共通する価値観で結ばれる友情だけを大切にすればいいのだから。そんな対象は一生のうちで数人もあれば十分だ。  頑張るときは頑張る。手を抜くときは徹底して抜く。人間関係だって同じだ。頑張らなくてはならない相手なんてそんなにいるものではない。多くはその他なのだ。その他まで気を使っていたら身が持たない。孤立も孤独も昇華すれば孤高になる。恐れるに足りない。決して傷つけないこと。これさえ守っていれば汚れた衣服も身体も気にすることはない。いつか小銭が出来たらコインランドリーでドラムが回転するのを眺めればいいし、銭湯に行けばいい。だけど汚れた心は洗えない。500円玉一個では洗えない。本箱から埃をかぶった1冊を取り出さないと洗えない。すり減ったレコード盤に針を落とさないと洗えない。便せんを取り出し下手な字を連ねないと洗えない。大いなる力に膝まづかないと洗えない。  ホースで僕の髪は吸い取れても、誰も僕のこだわりまでは吸いとれない。