陳列

 今日もいくつかの用事をこなさなければならなかったので、朝の7時半頃家を出た。2つ目の用事のために車で移動中に、酷く寒いことに気がついた。エアコンを28度に設定しても何故か寒い。きっと風邪を引き始めているのだろうと思って、ドラッグストアに寄り薬を買った。愛用しているものはドラッグストアにはないので、成分を調べながら自分で納得できるものを1回分だけ買った。レジに持っていくと白衣を着た薬剤師らしき人が「いいものを飲まれるんですね」と言った。「急に寒気がしたので」と答えると、「食後に飲んでください」と言われた。素人のように礼を言って、外にでてすぐに飲んだ。食前でも関係ない。食後まで待っていたら、きっと風邪が内攻してしまうだろう。おかげで午後の4時間の勉強会は何事もなく集中できた。今帰ってきたが恐らく治っているだろう。 僕が薬の成分を調べている間、一人の女性客とその薬剤師の会話が聞こえた。なにでもオロナインを塗って何かを治そうとしているらしい。ところがメンソレータムのことが気になったらしくて、その効果の違いをかなりひつこく尋ねていた。聞いていてその薬剤師が気の毒になった。現代では何故存在しているのか分からないような2種類の薬について説明を求められ、それも50歩100歩の内容で、もっといいものを使ってとさじを投げたくなるような内容なのだ。「抗生物質を塗って」と僕なら一言ですますだろうが、彼にはその裁量は許されていないのかもしれない。忍耐強く説明していた。ドラッグストアが何をするところなのか僕には分からない。強いて言えば薬の大量消費を促す場なのかもしれない。だけど薬はいやしくも消費が目的ではない。病気が治る、健康が手にはいるという代価が必ず要求される。しかし、はっきり言ってそれはあの手の会話では無理だ。いくら薬剤師に熱意や知識があっても、治してやるって意気込みは陳列されていない。陳列されているのは、最終消費者の肝臓を痛めつけることを危惧される大量の化学薬品の群れだ。 田舎でのんびりと仕事が出来るのが幸せなのかもしれない。猫の手も借りたいような繁盛は知らないが、意気込みだけはちゃんと陳列し続けているから。