詮索

 まさに「気になる人」だった。あまり人に関心を寄せない僕だが、その人は気になった。しかし、詮索は好きではないから、ことさら尋ねることはしない。向こうが話せば聞く。それだけのことだ。ある日、ひどい虫さされを治してあげたことで、僕の薬局をとても気に入ってくれた。風邪の後遺症で必ずあるトラブルになるのだが、それも漢方薬でよく回復する。数日前に「私の処方を書いていてください」と頼まれたことで初めて彼女の住所が分かった。牛窓の人かと思っていたら、隣の市からいつもわざわざ薬を取りに来てくれていた。  僕が彼女に関心を寄せたのは、彼女の服装のみすぼらしさだ。いや、その表現は間違っている。みすぼらしさではなく、質素、いや、これはもっと間違っている。合理的、実務的、気にしない質、気にならない質、いやいや違う。そうだ、まるで浮浪者のようだ。ああ、これが一番近い。まさに、今しがた、公園のテントから出てきたようないでたちの女性なのだ。  顔色は日に焼けて黒く、冬が近くなるまで素足だった。横浜育ちの彼女はお百姓がしたくて転々と田舎を回っているらしい。今は隣の市で、畑を借りて作物を作っているらしい。田舎の人でもやりたがらないことを希望して、生き生きと自然に身をゆだねて、心もゆだねて毎日土と触れ合っている。土に汚れた顔や手を隠そうとは決してしない。我が道に迷いは全くない。忙しすぎてバテていると言うから、身体を使い果たしたら眠ればいいけれど、心を空っぽにしたらいけないよと言うと、「心は満タン」とすぐに答えが返ってきた。「心は満タン」とはうまいことを言ったものだ。僕はえらく感心した。  女性は清楚で美しいのもいい。華麗で寄りつきがたいのもいい。知的でクールなのもいい。だけど、身だしなみを全く気にしない中身だけで勝負する人はもっといい。勿論男も同じだ。本当の驚きは中身でしか味わえないから。