病院もしまっているので、少しは役に立てるかなと思って今日は9時半から薬局を開けて仕事らしきをしている。帰省客の方が多いように思ったが、中に牛窓在住の方で久しぶりに来てくれた人もいる。その中である老人の漁師さんと1時間くらい話をした。  おきまりの魚が捕れなくなったという話から始まった。しかし今日は僕にとっては全く知らない内容の話が多かった。その方の話だと、最近はアレッと思うような魚までが養殖物なんだそうだ。方言か共通語か知らないが、うきそ、オコゼまで養殖されているらしい。これには驚いた。天然物が少なくなって、それで価値が上がるのかと思ったら、価格が養殖物に合わせられるので、手取りが思うようにのびないと言う話だった。その一連の話の中でとても興味深い内容があった。素人には天然物と養殖の区別は付かないだろうと思うけれど、プロが見れば分かるというのだ。餌の関係でからだの色が違う。これが一つ。これはあまり感激はしなかった。二つ目。口が天然物より養殖物は小さい。自分で大きな口を開けて獲物を捕らなくても時間が来れば勝手に餌が与えられるから、獲物を捕る大きな口が必要ないらしい。これはなかなか印象深かった。三つ目。天然物より養殖物は尾びれが短いらしい。閉じこめられた範囲しか泳がないから、それも獲物を追って全速力、あるいは瞬発力を発揮する必要もないから尾びれが発達しないみたいだ。これには感動した。まるで人間のことを言われているように感じたのだ。近未来の人間そのもの、いやいやもう始まっている人間の変化をわずか数世代で体現している魚たちが、哀れに思えた。今や人間のあらゆる所を代行してくれる道具が開発されている。労力は惜しむが対価は限りなく要求する。科学の進歩の対価は皮肉にも肉体の退化なのだ。地球上の多くの種を滅ぼし種を変性させている人間に罪はないのだろうか。もしこれが猿の惑星での出来事なら人間は打ち首獄門だ。偶然権力を握っているから罰せられないだけだ。  もしも魚に感情があるなら、泳ぎながら涙を流しているだろうな。