笑い

 大阪の勉強会に行って、生粋の大阪人薬剤師と話す機会があった。勉強会の途中でも僕は結構話の腰を折るし、昼食時間が1時間あったのでその間食堂でゆっくり話が出来た。その結果、帰る道すがら彼らの僕に対する評価は、「大阪の人間に負けない」だった。  何が負けないのかと言うと、知識でもなく、経営規模でもない。そんなもの同じ土俵にそもそも上がれるはずがない。負けないのは「お笑い」なのだそうだ。そう言えば、6時間の勉強の間も結構みな笑っていた。大の大人が6時間も緊張して勉強出来るはずがない。僕は30分もしたら姿勢が崩れ始め、緊張も取れる。睡魔が替わってやってきて、何の為に3時間もかけてやって来たのか分からなくなる。別に、その為ではないが、僕の口から冗談が連続して出てくるのだ。僕自信の体調を確保する為、同席している人達の緊張を取り喜んでもらうために。今度職業につくとしたら、是非吉本新喜劇の台本を書く職業がいいと思っているので、僕の日常には笑いのネタは転がっている。常日頃、薬局に来てくれる人にも是非一度は笑顔を見せて帰って欲しいと思っている。笑う時、交換神経が一瞬にしてゆるむ瞬間を1度でも体験して帰って欲しいと思っている。現代人の病気のほとんどは、交換神経の亢進で起こっている。それが解決できれば多くのトラブルから皆さん解放される。漢方薬でそれが達せられようが、笑いで達せられようがどちらでもいい。要は体が、心が解きほぐれればいいのだから。だからいつも僕はその一瞬を作りたいと思っている。  僕の町は古くからの港町、漁師町だ。人が寄って、大切な話をするときにも決して本題は話さない。本質にはまるで触れずに、自然に出来るボケと突っ込みで会が進行され、冗談のキャッチボールでことが決まっていく。信じられないだろうが事実なのだ。何年ぶりかに帰ってきた時にはさすがに戸惑ったが、それにも叉すぐ慣れた。荒くれそうに見えるけれど、本当は人間が苦手の気の弱い漁師たちが長年の間に身につけたコミュニケーションの方法なのだ。でも、日常の中でも笑いつづける、笑い転げることがしばしばできるなら、漁師のしきたりもまたなかなかのものだ。  関西とは遠く離れているのに、ボケと突っ込みが健在な町。季候の厳しい土地の人にはなかなか受け入れられない笑いの文化がある。