絵画

 立場上、僕はいつも薬局の中から外の方向を見ている。大きなガラス扉越しに、瀬戸内特有の明るい風景が見える。薬局の前の道路は田舎の町の幹線で、狭い道だが車はよく通る。近くにある牛窓中学校の生徒の通り道でもある。最近は自転車通学の生徒がほとんどだが、極近くの生徒は今でも徒歩で通っている。中学校から100メートルくらいしか離れていないので、僕の息子も娘も勿論徒歩で通った。  僕がカウンターの中で患者さんを応対していると、自然に患者さんの肩越しに道路が見える。息子や娘が中学生のころ、帰宅の為に道路の向こう側を薬局の前まで歩いて帰り、そこからこちら側に横断する。横断する為に車をしばらくやり過ごす姿をふと今日思い出した。何回も自然に目に入っていた光景なのだろう。卒業式のために早く下校している中学生の姿が目に入った時、自然に当時の光景を思い出した。まるで十数年前にタイムスリップしたみたいだった。そこには丸坊主の息子や、短い丈のスカートの娘がいた。思えばその頃が僕は一番充実していて、一番幸せだったのかもしれない。体力的にも未だ不安はなかったし、子供達を支えてやることに懸命だった。  僕は子育てに関して、守ったことが2つある。一つは決して失敗を怒らない事。社会的な悪だけは怒るがそれ以外はどんなことも叱らない。基本的には誉めて誉めて誉めまくった。娘は一度も叱ったことはない。息子は一度だけある。幼稚園に入る前だったと思うが、2時間くらい行方がわからなかったことがある。結局は近所の小学生に連れられて遠くに遊びに行っていたのだが、その時は叱ってしまった。でも20数年前のそのことを今でも思い出すたびに後悔し息子にすまない気持ちでいっぱいになる。もう一つは、決して子供の邪魔をしないこと。子供が希望することは、それが社会的な悪でない限りかなえてやる努力をした。1日12時間休日もなく働いている親の姿を見ていたから、難題は全く吹きかけてこなかった。その気になれば何でもかなえられるようなことだが、丁寧に応えた。人生の大きな選択も子供達に任せ決して立ちはだからないように努めた。命令は決してしなかった。そして二人とも中学を卒業すると出て行った。  二人とも15年しか一緒に暮らさなかったことになる。親離れ、子離れが早すぎるのかもしれないが、僕はこの仕事に集中できた。僕は子供達の為に生きたのか、僕自身の為に生きたのか、それとも誰かの為に生きたのか、それとも誰もの為に生きたのか。分からない。分からないことだらけだ。幸せだったのか、不幸だったのか、そのどちらでもなかったのか。  肩越しの風景は、まるで額縁のない絵画のようだった。