うどん屋のオヤジ

 ビニール袋の中に自分の店で作ったラーメンとうどんを詰めて、久々にうどん屋のオヤジがやってきた。手土産としてくれるのだが、僕の相談机の前に当然のように腰掛ける。以前ならこんな光景は僕の薬局ではありふれていたのだが、今は滅多にない。健康相談や薬を作ってもらうために待つ人以外は腰掛けたりはしない。僕の薬局が別に忙しいわけではないが、薬剤師は病院の薬をほぼ1日中作っているし、漢方相談の方には煎じ薬を4人で作らないと間に合わないこともある。牛窓に帰ってきた頃には、お客さんが何人か集まって、タバコを吸いながら世間話で時間をつぶしたりしていた。薬局の中にあるストーブで、殻付の牡蠣を焼いて食べたりもした。今から考えたら不思議なようなことが許されていた。当時は一般的な薬を売る事が仕事だった。勉強会で習ってきたことを駆使して販売に徹していた。沢山売る事が目的だった。  子供の体質的なトラブルをなんとか完治させたいと思っていた頃、漢方薬に出会った。販売を目的にした会合でも、僕はひつこく治し方を探していた。その態度を好感を持って受け入れてくれた人が漢方の世界に導いてくれた。以来こつこつと治すことを学んだ。それまでとは変わって、売ることを目的としない日々はとても楽しかった。悪意を必要としない仕事は精神的にとても楽だった。緊張と達成感と挫折とが激しく渦巻いた20数年間をあっという間に駆け抜けて来た。その間、次第にうどん屋のオヤジみたいに、人生を語る為に薬局に足を運んできてくれていた人達の居場所がなくなった。全く何の知識もなく帰ってきた若造を、優しく受け入れてくれた土地の人達の居場所は減ってしまった。今では遠くから相談に来てくれる方たちの居場所になっている。今日、久々にやってきてくれたうどん屋のオヤジに対して、調剤室の中から声をかけただけの応対に、時間の流れ、時代の流れを感じた。