違和感

 何かが違う。はっきりとは分からないが明らかに違う。この人は本来こんなに無愛想ではなかった。以前と同じように丁寧な言葉は使うが、言葉に感情が入っていない。そもそも笑わない。商売を50年近く続けてきたので物腰は低く、相手に気を使いすぎるくらいだったのに、能面のように表情が変わらない。10年来、脊椎間狭窄症を患っているので、そんなに動きが機敏ではないはずなのに、背筋をピンと伸ばし若者のようにすばやく動く。  家族の方が後日偶然来られたので、ご主人はおかしくないかと尋ねた。すると家族の方も、お父さんの性格が変わったような印象を持っていた。ただ、それが別に病的なものとは思わなくて、機嫌が悪いものとばかり思っていたらしい。僕は病的な印象を持つから、大きな病院に行って診断を受けたらと、息子さんに進言した。  今日処方箋を持って息子さんがやってきた。総合病院の心療内科を受診したらしい。処方箋の内容から、アルツハイマーだと分かった。なんとなく感じた違和感が、今日の診断のきっかけになった。息子さんに大変誉められて、お礼も言われた。本当なら漢方薬を作って、症状を軽減してみたかったが、まず一番には正確な診断を病院に仰がなければならない。そしていったん治療が始まったら、病院の治療が奏効するように導かなければならない。これが一般的な調剤薬局の姿だ。  なんとなく感じる違和感。日常生活の中には一杯ある。健康然り、経済然り、信仰然り、教育然り、道徳然り。僕達は身を守る為に、この違和感の間に察知する感性を磨いておかなければならない。さもなければ取り返しがつかないものまで失う羽目になる。取り返しがつくものを失うのはかまわない。問題はつかないものだ。そのつかないものが毎日のようにこの汚れてしまった国で行われている。