孤独の食卓

 片側1車線の道路を渡りきるのに1分はかかるのではないかと言うゆっくりとした足取りの老人が、見るからに老いた犬を連れて朝に夕に散歩する。薬局の前が散歩のコースなので毎日目撃する。遠景の営みとして眺めるにはとてもほほえましい光景なのだが、体温を感じる距離に立つと、憐れが両の手から溢れてこぼれる。  目やにを貯めている目には未来は映らない。息子と二人暮らしている家の中は壮絶な廃棄物の山。全ての歯を失いハッキリしない言葉は、聞き手を後ずさりさせて孤独の食卓に過酸化脂質の手榴弾。曲がらない脚は、追憶を許さない。酒の中で時計は時間を辛うじて刻むが、アルデヒドが冷酷に現実に引き戻す。生きてきて、生きてきて、何の為に、何の為に。  テレビで、誰かが誰かの孫で、誰かが誰かに連れていかれて・・・・悲しみが欲しいなら、たった10メートル歩けばいい。この町でも、となりの町でも、もっと遠い大きな街でも、踏み潰されたコカコーラの缶より容易に見つかる。  救いの手には木綿の手袋。足には長靴。勇ましい掛け声の中に沈む墓石。生きてきて、生きてきて。