今日は珍しく霧が深く、すぐ目の前に浮かぶ島も全く見えなかった。ゴールデンウイークの最終日も雨と霧のため人影は海岸線にもなかった。フェリーは止まっているのだろう、乗り場で待つ車の姿もなかった。  がんで入院している人を見舞った。見舞ったところに丁度その人の娘さんもきて、沢山の話しで盛りあがった。その親子はどちらも明るくて話し好き。機関銃のようにしゃべり、終始笑っている。病気を忘れているかのごとく時間は過ぎる。これだけ笑えば、免疫はかなり強くなるだろう。下手な薬よりよく効くのではないかと思った。  その日その日を与えられたテーマで懸命に消化していただけの青春時代、今日の霧のように人生の展望なんて全く開けなかった。別にしたいことがあったわけではなく、無難な人生を結局は選択してしまった。流されて流されて結局は本流から外れて、今に至るけれど、歳と共に視界は晴れて来た。希望が広がったのではなく、出来ることが限られてきたのだ。今となっては、選択肢など用意されるものではない。選択の余地は、ほとんどの事態においてなくなるのだ。  明日になればこの霧は晴れて、島はま近に見える。ただ1つしがみついているこの仕事に、到達地点はない。霧は晴れても心は晴れない。毎日何人かの役に立ち、何人かの期待を裏切るのだから。