再現

 道路の反対側からだからはっきりとは分からなかったが、大きな麦藁帽をタオルで頬被りした上から被り、長靴で茶色のズボン姿でしゃがみ込んでなにやら農作業らしきことをやっている。白いTシャツと茶色のズボンのコントラストが野暮ったく見える。もっとも農作業をするときに着飾る必要はないから、野暮ったいので十分だ。
 僕がかの国の人のために寮として手に入れた土地は、元々田んぼだったので土が肥えている。正しく作れば、野菜を多く作ることが出来るだろう。彼女達のほとんどは農村部出身だから基本的には農作業をすることが出来る。だから春が来るのを心待ちにしていた。と言うのは作りたい野菜が一杯あるのだ。種も法律違反だろうが結構持ってきている。
 道路を渡り、農作業をしている家の裏側に回っていくと、一人のかの国の女性が黙々と作業をしていた。その姿は正に周囲の里山に馴染んでいて、昔預けられていた母の里で毎日見ていた光景だ。もんぺ姿で鍬を担いで夕方に帰って来るおばの姿を今でもはっきりと思いだせるが、目の前で同じような光景が広がる。僕はそうした光景が好きだ。かつては日常のごくごくありふれた光景だっただろうが、今では滅多に目にすることはない。まして30を少しばかり超えたような女性が農作業をしているところなど見たことがない。
 同じ作業着を着て1列になって自転車をこぎ出勤する姿に興味を持ち、野暮ったい服装で農作業をする光景に興味を持ち、僕はこの国では失われた光景をいみじくも再現するかの国の人たちに感激しているのだろうか。

素養

 9時間電車に揺られながら訪ねてくれた女性がいる。僕なら新幹線を使うが、高いという理由で頑張って会いにきてくれた。
 今だったら当然会社に受け入れてもらえるような些細な要求をしたばかりに、即刻帰国を強いられたのはもう10年近く前だ。その女性が帰国を強いられたときに一目僕に会わせてくださいと言って泣いたのがきっかけで、その会社の幹部と面識が出来た。いわば多くの若き友人を得た僕にとっても、多くの自由を与えられたかの国の女性達にとっても恩人だ。
 彼女はその後学生として来日し、アルバイトをしながら短大に通った。あるとき手持ちのお金が尽きて授業料も払えずこれまた帰国を余儀なくされたときに、僕が授業料と生活費を提供した。その恩をいまだ感じてくれている女性で、こうして時々会いに来てくれる。
 昨夜かの国の寮を訪ね、先輩としての話を色々していた。後輩達は異国で、それも牛窓で同朋の人と会えるのが嬉しかったみたいで、彼女を囲んで話は弾んでいた。ある瞬間急に僕のほうを皆が見始めたので僕の話題だろうなとは思ったが、案の定僕との思い出話をしたらしい。それは僕が貸したお金ではなく、我が家が彼女に送ってあげた布団の話だった。来日早々布団を買うお金もないことを知って、妻が関西にある大学の寮に送ってあげたものだと思う。僕は完全に忘れていたが、その女性が「オトウサン、今でも私使ってる、もったいなくて捨てること出来ない」と言ってくれたので思い出した。もう随分と古くなっているだろうが、僕の気持ちを大切にしてくれているのだ。僕はお金は返してもらわなくていいと思ってその時融通したのだが、程なくしっかり返って来た。あの国の人の金を借る敷居が低いことがよく分かったが、借りたものは返すと言う当たり前のこともしっかりしていて安心した。
 今では日本の大企業に就職して通訳として働いているが、言葉だけでなく日本人のようになってきた。9時間かけて会いに来る律儀さや、僕の体調をいたわる優しさは、かの国の素養だと思う。いくら通訳でも、心にはかの国を残しておいて欲しい。

貢献

 今日ある女性が久しぶりにやってきた。と言っても月に一度や二度は電話で話をしているから、実際に会っていないだけで消息はすこぶる知っている。今日あることで今まで疑問に思っていたことが解決した。
 数年前に東京から牛窓に引っ越してきて、僕の薬局の近くだったものだから、一緒にやってきたおじいさんとともに僕の薬局を利用してくれるようになった。おじいさんはある道でとても有名な方らしかったが、その道とは全く縁がない僕にとっては、ただの時間をもてあましている、そして老いがかなり差し迫っている老人でしかなかった。その老人が孫に当たる彼女のことを東大を出ていると言っていた。ただその信憑性を疑わせるものがあり僕は単なる老人のホラと考えていた。疑った根拠は、老人がもうかなり肉体的な不自由を抱え始めていて、それに伴って自慢の思考力などの衰えを感じさせるところがあったことと、彼女自身から品と教養を感じさせるオーラが全く発せられていなかったことだ。それどころか、笑顔がよく出て、田舎の優しい若いお母さんでしかなかった。こんな人が東大だとは誰も思わないだろう。牛窓で就いた仕事も、高校を卒業していれば十分出来そうな仕事だった。東大である必要はない。
 ところが今日土産にくれたのが、東京に数年ぶりに帰って就職した所のクッキーだった。UTOKYOと箱に書いてある。これは東京大学の新しい正式な呼び方らしくて、「職場で買ってきた」の一言で確信した。おじいさんが言った事は本当だったのだ。そして何より感心したのは、彼女自身がそれを一度も口にしたことはないし、それをにおわすこともしたことがないことだ。能ある鷹が爪を隠しすぎだ。恐らくそれは謙遜ではなく、彼女自身の性格に由来するものだし、もっと言えば彼女にとって東大はそこまで特別なものではない、いや、彼女の入試の困難さにおいて特別なものではなかったのだろう。だからああして、飄々と生きることが出来るのだと思う。どんな状況でも克服できるだろうという自信があるのだろう。
 僕がそのことを悟ったその瞬間からも、なんら事態は変わらない。それが僕の特徴でもあるが「自分(あなたは)は・・・」と言いたい放題だ。彼女も今までのように、素朴な質問のしまくりだ。そんな彼女が今日しみじみ言った。「私が牛窓に来たのは、ヤマト薬局さんに会うためだったような気がする」と。これは嬉しい言葉だ。今でも何があってもすぐに相談してくれ翌日着で薬を送るが、人生に影響するほど貢献できていたと評価してくれるのは有り難い。今日の晴れ渡った空のようにすがすがしい女性の素朴な生き方に感心したすばらしい日になった。

満足感

 昨日に引き続き、正解3まであった。予期せぬことでこれ以上の正解はない。3日に訪ねるのをやめて今日訪れたのが大正解だった。
 香川県内から集まった24団体の獅子舞が歩行者天国で同時に舞うのだから壮観だ。別々にやってくれたら一つずつをつぶさに見れるから理解度は上がるが、24団体が順番にやられたら、朝が来そうだ。そうしてみるとよく考えられている。
 1時間くらい堪能した後は、アイドルの歌だったから、さすがにそれは聴けないので、かの国の女性二人を促して丸亀城天守閣を目指した。ところが門を入ったところで、着物を500円で着せてあげるという看板を見つけた。何かの間違いかと思って確かめると500円だという。市の後援があるからその値段だと説明されたので納得した。これにはかの国の女性はとても喜んでくれ、唯でさえ写真とりまくりなのに、とんでもない時間を要して天守閣に登り又降りてきた。ただこのとんでもない撮りまくりが効を奏して、案内のポスターには載っていなかった和太鼓のコンサートがあることを知った。丁度城から広場に降りたときに太鼓の、コンサートの準備がすもうとしていた。何故皆さん知っていたのか分からないが、広場には沢山の人が集まっていた。メンバーはそうそうたると言うか香川県だから当然といえば当然だが、僕の大好きなチームを厳選してくれたようなものだった。善通寺龍神太鼓 和太鼓集団響屋(おとや) 夢幻の会 志多らだからお金を払ってでも聴きたいレベルだ。それが無料で聴けるのだから有り難い。
 僕自身も楽しめたが、来日して間もないかの国の女性二人も好みがあったのかとても熱心に聴いていた。天守閣を背景に着物を来て和太鼓を聴く。これ以上日本を味わえる環境はそんなにはないだろう。「何かいいことをして上げている」そんな満足感に支えられた春の一日だった。

喉元

 昨年の今日、結構怖い目をしたから、喉元過ぎても熱さは、そのまま残っている。
 丸亀城天守閣辺りに立っているとやたら風が強いことに気がついた。海のほうに目をやれば同じくらいの高さに瀬戸大橋が見える。陸でこれくらい吹いていれば海の上はもっとすごいだろうなと嫌な予感がしていた。案の定瀬戸大橋の電車は止まり、急遽高松に向かいフェリーで玉野まで帰ったのだが、そのフェリーが怖かった。左右に揺れるたびに海面が目に入る。よほど傾くのだろう。
 今年は素人ながら天気図を見たりして研究した。そこで出した結論が、今日「丸亀しろ祭り」に行くのではなく、明日行くことだ。今日は恐らく去年と同じように風が吹くだろうと予測し。案の定、牛窓でも結構風が吹いた。瀬戸大橋線を止めるくらいの強さかどうかは分からないが、今日の判断は妥当だったと安堵した。行っておけば良かったと、後悔するのはつまらないから、予想が当たったのは有り難い。
 これが正解1ならもう一つ今日は正解があった。正解2のほうは、丸亀に行かなかったおかげで十分な時間を仕事に費やすことが出来た。仕事と言っても普段後回しにしている事務的なもので、驚くほど片付いた。それと漢方の相談の電話も入り、ゆっくりと何の気兼ねもなく話すことが出来た。シャッターを下ろしているだけでこんなに仕事がはかどるのかと驚いた。おかげで残り3日間が本物の休日になった。

封書

 今日NTTから封書が届いた。別に珍しいことではないか。でも封を開けて目を通すと珍しい内容だった。
 何故なら、NTTから書類が来ると普通は請求書だと思うが、なんと今日の内容は全く逆で、お金をくれるというものだった。確かにこれは珍しく滅多にないことだ。と言うより初めての経験だ。僕はNTTにお金をもらえるようなことはしていないから何かのミスかなと思っていたが、文面に目を通すと、電柱を敷地内に立ててもらっているから、その土地の使用料だというのだ。
 勿論僕の薬局の敷地内に電柱はない。あるのは昨年かの国の人のために買ってあげた寮の庭だ。柿の木が2本ありその背後に隠れるようにしてある。電信柱のようで電信柱でない。背が低いしそもそもみすぼらしい。でも明らかに電線様のものが延びているから電気とばかり思っていたが、電話線だったのだ。この手の書類は苦手で目を通すことはないが、恐らく1年間に9000円くれるのだろう。直径が20cmでもあるのだろうか、貧弱な電信柱だが、これで9000円もくれるなら、もっともっと電信柱を僕の土地に立ててくれればと思う。まるで満員電車のごとくギュウギュウ詰めにして立ててくれればそれだけでご飯を食べることが出来る。これぞ究極の無線飲食だ。

無防備

 もう何年も薬局の正面の軒下にツバメが巣を作っていたのに今年は作らない。縁起がいいと何故か信じているものだから、作らないとなると何か不吉なことを考えてしまう。娘も心配になっているのだろう、薬を買いに来たある車屋さんに「ご主人の工場に、ツバメが今年も巣を作っていますか?」と尋ねていた。すると工場の巣は昨年蛇にやられたらしくて今年は巣を作る気配がないらしい。よく工場にツバメの巣があることを知っていたものだと思うが、車検をお願いしている工場だから訪ねて行ったことがあるのだろう。
 縁起がいいと信じて、糞が汚くても、丁重に毎年もてなしているが、その言い伝えは我が家はどうも素通りらしくて恩恵はない。それでも邪険にできない運の強さをツバメは持っている。ハトも言えるかもしれない。早朝歩いているとかなりの距離まで接近を許してくれるが、野生の動物がそうした無防備を覚えるほど人間はハトには敵対してこなかったのだろう。
 毎日があわただしく過ぎていく。人に慰めてもらうことは出来ないが、早朝、鳥達がさえずり飛び回る姿には慰められる。毎年、大家面して眺めているが、今年は単なる近所の住人。人に疲れたときに、人に慰められるのは難しい。こうした時は羽を持った、言葉を知らない生き物達に限る。