名前

 毎日沢山のメールを貰い、毎日沢山の名前を薬袋に書き、考えてみれば僕は多くの名前と接する。普通の調剤薬局なら、まず患者に感情移入はしない。無難に薬を調剤し、もっともらしい注意をすれば高額の報酬が得られる。そこで頑張る理由など薬学上の知識欲か経済欲でしかない。だから患者は、処方箋を持ってくる人でしかなく、およそ感情は湧かない。僕の薬局も結構多くの人が処方箋を持ってくるから、僕の中にもこのタイプの人格が確実に存在する。ただし、運のいいことに僕にはもう一つの薬剤師としての人格があり、それにのめりこんでいるからこの方の人格が恐らく僕を代表している。
 不調を抱えた多くの人が僕を?漢方薬を?頼って訪ねて来てくれる。実際に足を運んでくる人も当然多いが、インターネット上で関わりあう関係の人も多い。目の前にいようがパソコン画面の向こう側にいようが、僕には等しく悩める人たちだ。そうした人たちの相談に乗っていると感情移入は甚だしい。ただし、こちらの身がもたなくなるまではありえない。僕が健康でお世話できなければ全てが始まらないから、最低限の配慮はするが、やはり気合は入る。そんな中最初に目にするのが名前で、最近何となく、おのおのの由来にすごく価値があるもののように思えだした。と言うのは、名前を見ていて、その名前の由来を考えたりすると、親を始め家族の愛情と期待がもろ出ているのだ。どれだけ望まれて生まれきたか、どれだけ喜ばれているかが伝わってくる。
 考え抜かれたものもあり、優しさを期待したものもあり、強さを求められたものもあり、知性を求められたものもあり、ひらめきでつけたものあり、あやかってつけたものもありで全ての名前はいとおしく思える。名前の向こうに人が、人格が見える。まだ見ぬ人が見えてきそうだ。
 機械音痴でパソコンなど全く出来ない僕がインターネットで多くの名前人(なまえびと)とつながっているのはなんとも皮肉なものだ。