大嘘

 もう十分ベテランのセールスが、自分の耳鳴りについて質問してきた。随分回りくどい質問の仕方で「先生は、耳鳴りは御専門ですか?」と問われた。と言うのは数年前に、数ヶ月止まらない咳を数日で止めたことがあり、それ以来咳に関しては専門くらいに評価してくれているからだと思う。30年くらいのキャリアの中で全国のかなりの薬局を回っているから、漢方に造詣の深い薬局も沢山知っているし、医院の先生も沢山知っているが、何故か僕の漢方薬だけが効いた。
 今回も僕に質問する前にもうたくさんの薬局で耳鳴りについて解決する方法を質問している。まだまだ耳鳴りを受け入れることができないみたいで、本気は伝わってくる。単なる話題で口にすることが多いが、そしてそのようなときには乗らないようにしているが、途中で本気度に気がついた。実力があるだろうと彼が評価しているところでも、ほとんど明確な回答はなく、難しいだろうと言う事だった。僕は不思議に思った。そうした薬局は、いわゆるお客さんが来た場合、難しいと言って帰すだろうか。恐らくそうはしないと思う。耳鳴りに効くとうたわれている商品を売るのではないか。漢方薬にもそうした商品はある。ところが彼は実際には「耳鳴りは難しい」で済まされたらしい。
 僕はその話を聞いていて思った。セールスは毎月回ってくる。おまけに薬に関して全くの素人ではない。そうした人に何らかの効果を出さなければ、立場がない。毎月顔を見るたびに後ろめたくなる。「耳鳴りは難しい」で逃げるのは、よほど自信がないのだ。素人相手なら自信が無くても売れる。効かなくても売れる。その代わりそうしたときには絶対強気でないといけない。欲望の権化にならなくてはならない。
 僕は強気にも権化にもなれない。だから問診をして可能性を探り漢方薬を作る。彼の場合にも決定的な特徴を引き出した。これで自信を持って作れる。後ろめたさもないし旨くいけば効く。
 僕が日ごろ気をつけていることに相手が医者でも素人でも同じ言葉を使い、同じ薬を作ること。恥ずかしくて医者に言えないようなことは素人にも言わない。嘗て息子に薬局の勉強会に代理出席してもらった事があるが、どんな病人がきても〇〇を出すと呆れていた。売りたいものを用意していて、何を言ってきてもそれを売るらしい。医者の世界では絶対にありえないことだ。そのセールスが、一軒だけ耳鳴りの商品を勧めてくれたところがあったと言っていた。何も聞かずにただこれがいいと言って2万円以上する「蜂の子」を勧めてくれたらしい。「耳鳴り」とポップを書いて山積みにしているドラッグストアらしい。「根拠が分からないから買いませんでしたが」と言っていたが。
 田舎で薬局をやると言うことは、商売的には難しいところがあるが気持ちは随分と楽だ。嘘をついていることに気がつかないほどの大嘘をつく必要が無いから。田舎から政治屋が出にくいのと同じ理由だ。