犠牲者

 ある青年に返信していてふと気がついた。その青年に世の中の犠牲者になる必要はないと書いたのだが、病人と言う名に置き換えられた犠牲者が実は一杯いるのではと気がついたのだ。病気といえば、何かの不運とか、不摂生で片付けられるから、それをカムフラージュに利用されているのではないかと思いついたのだ。  田舎で暮らしていると、正味の世界がほとんどだから、ブラックなどと言う言葉で表現されるものたちと接する機会は少ない。だからピンと来ないのが正直なところだが、マスコミなどで得た知識で判断すると、ブラックなにやらは企業は勿論あらゆる分野にはびこっているみたいだ。もっともブラックの最たるものがアホノミクスに象徴される国というものだから、ブラックがはびこるのも無理はない。ブラックが喜ぶシステムを根付かせるために政権があるようなものだから、そしてアホコミも又その手先だから、この世は正にブラック天国だ。  そうした中で、体や心をすりきらせて働いて、病院のベッドに行き着けば、それは病気で片付けられる。でもよくよく考えてみれば実質は心身を傷害された被害者だ。体や精神で被害を表現しているからあたかも病気になった不運な人ですまされるが、実は経営者側による、業務上過失傷害だ。いや過失なんかではなく故意による確信犯だ。刃物で直接傷つけてはいないが、追い詰めて自滅させているのだから立派な傷害罪だ。時に過失致死まで行く。  今の時代に搾取などと言う言葉を使ったら時代の遺物みたいに聞こえるかもしれないが、精神も肉体もそれこそ搾取され、ぼろぼろになり捨てられる。その数何百万人だ。たかが一握りのやつらの為に、心身を使い果たす必要はない。傷つけられてはいけないのだ。日々が茨の道であってはいけないのだ。あっという間の人生が、石ころのように無機質ではいけないのだ。犠牲者になってはいけないのだ。