どん底

 「どん底を見ているから、私はなんとも感じないんですよ」とにこやかな顔をして言うが、この人のどん底は本当のどん底で、言葉の綾で口に出したり、同情をひくためだったり、そんな実際を伴わないものではない。 僕は具体的に知っている。でもここでは書けない。ごく当たり前の生活をしている人が、想像できる最低の人格破壊を充分越えているから。要は想像を絶するのだ。 さげすまれて心も身体も破壊寸前から生還したから、少々のことは全然応えないらしい。今はなんと人の世話をする職業に就いているが、その世話をする相手がそれこそ人格の破壊者らしいから、仕打ちが半端ではないらしい。普通の人なら耐えれないのだろうが、彼女は壮絶な過去のおかげで「大したことではない」らしい。漢方薬で世話をしていた頃僕が「無駄なことは一つもないからね」と声をかけ続けていたことを覚えていてくれて「本当に何一つ無駄なことはなかったと思います」と言ってくれた。こんなに弱い人がいるのだろうかと思うくらいだった人が、今は自信に溢れてちゃんと正面を見て話し、笑顔を絶やさない。  何がなにでもこの人をもう一度世間に戻したいと思った。こんな不幸から帰還出来たら一体どれだけの人を救うことが出来るのだろうかと思った。医学とか薬学とか、そんな次元ではない。案の定、笑顔で同業の人が拒否した仕事をこなす姿は、壮絶の向こうにでさえ又日が昇ることを実証した姿だ。同じ境遇の人に見て欲しい。