禁煙

 何が良かったって、煙草を止めれたこと程良かったことはない。何度か挑戦してやっと止めれたのだが、僕の体力でずっと吸うってのは所詮無理だ。人生が早い段階で終わっていただろう。当時高校を卒業するとほとんどの青年が煙草を始めていたから、深く考えることもなく通過儀礼のように吸ってしまった。10数年間吸ってしまったが、最後の方はえづきながら吸っていた。  その間に、どれだけ肉体にダメージを与えたか分からないが、一段と体力、免疫を落としたことだけは間違いない。毎日のように送られてくる情報に、煙草の害が載らない日は珍しい。色々な物質が研究され、時に健康に反する物が急遽体にプラスに働くなどと学説が翻ることも経験するが、煙草の害に関しては一定している。寧ろ害が及ぶ範囲は広がり続けている。今では諸悪の根元みたいな言い方をされ、喫煙者は居場所を狭められている。あれだけ居場所を狭められても果敢に戦いを挑んでいる人もいるが、勇敢だなあと感心する。自分の免疫と日夜戦い続けているのだから、余程の猛者でないと出来ない。最後の方はさすがに僕も恐ろしくなり、煙草の害から逃げ出した。その恐怖は煙草を止めるときの禁断症状などより余程深刻で、最後に禁煙を決断したときは3日くらいで勝負がついた。 煙草をくゆらせコーヒーをすすりジャズを聴く。至福の時間は実はでっち上げの時間だった。煙草もコーヒーもなくてもジャズは聴けるし、煙草もジャズもなくてもコーヒーは飲める。セッティングされた価値観に縛られる必要はない。肺胞をいくらタールで覆っても野の花が踊り小鳥がスイングするわけではない。