我が家の西隣には大きな空き地がある。バブルの頃手に入れた不動産屋さんが売れなくてその後駐車場にしているのだが、隅に巨木が残っていた。丁度隣家との境で、巨木の持ち主は隣家の人だ。あまりにも大きすぎて、落ち葉が結構遠くまで飛ぶみたいで、ある家から樋が詰まると苦情が出た。その結果、切り倒すことになったみたいだ。  昨日なにやら大声がすると思って外に出てみたら、巨木の下で神主さんがお払いをしていた。あれだけ大きくなった木には神様が宿っているらしくて勝手に切り倒したりしてはいけないらしい。日本人はあらゆる物に神様をくっつけて考えるから、そう説明を受けたとき、何となく説得力を感じた。しかし、僕はその種の人間ではないからその木に神格を感じたりしないが、持ち主の夫婦は違った。神主さんの後ろで神妙に手を合わせていた。  さて今朝から始まった切り倒しは、切り倒しなんて言葉が全く適さない方法で行なわれた。まずビルでも建てるのかと言うくらいの大きなクレーン車がやってきて、人が数人乗れる大きなかごを木の上に垂らす。そこから身を乗り出して枝を少しずつ切っていく。切った枝は下で待ち受けている人夫さん達にロープで下ろす。それを繰り返すのだ。僕は根元から切り倒して、倒れたのを電動のこぎりで切っていくのかと思ったが、まるで丁寧な解体作業を見ているような感じだった。隣地へ葉や枝が飛び散らないようにかなり配慮しているのが伺われた。どんな作業も今はずさんさは認められないのだ。  入れ替わり立ち替わりの見物人の見まもる中、今まで巨木に隠されていた風景が突然現れた。今まで途切れていた尾根が繋がった。この春は、ツバメを守る愚かな人間を高い木の上から見下ろす指定席を烏達も奪われた。楠は残っ・・・・らなかった。