代打

 通訳だから日常会話のほとんどは出来る。どのくらいの精度か分からないが、意思の疎通には支障はないように思う。
 僕の顔見知りのベトナム人は、一人を残して5月には帰国する。通訳もその中の一人だ。
 彼女が、車中で次のようなことを妻に語っていた。お母さんが電話をかけてきて「今どこにいるの?」と尋ねるそうだ。「まだ仕事中」だと答えると、「早く帰りなさい」と言うそうだ。
 この言葉を聞いて、僕はまだベトナムにいる時の会話かと思った。いや日本人ならそのように解釈するだろう。ところが実際には昨夜の電話の内容だった。お母さんがべトナムから心配して電話をかけて来るそうだ。それもほぼ毎日。
 安全を売りにしている日本に送り出しているものの、やはり親だから心配なのはわかるが、どうしようもない遠くの国から「今どこにいるの?」はないだろうと思うが、それにこたえる娘の従順さには・・・・驚かない。もう20年位ベトナム人を見てきたから、それも大いにありなのだ。戦前の日本もこんなのだったのかと、羨ましくなるような姿を見せられ続けてきた。20年前とまだ変わっていない。日本なら「うるさい」の一言で電話を切られそうだが、そういったことを20年聞いたことも目撃したこともない。おまけに、昨夜の電話では「お母さんはもう歳だから死んで、会えないかもしれない」と泣き言も言ったらしい。
 27歳の娘の母親が「歳だから死ぬかもしれない」?これもありなのだ。スマホで幾度となくベトナムに残している親と話したことがあるが、僕をお兄さんと呼んだ全ての人が、僕より年下だった。それも随分と年下だった。南の国で紫外線が強いのが理由だと思うが、みんながみんな老けていて、日本のような老人のイメージはない。だから何も知らなければ冗談にしか聞こえないが、あの老けようを見ると、それもありなのだ。
 200人くらいの疑似親子を体験し続けて、気持ちはあまり歳を取らなかったと思うが、肉体はさすがに衰え醜くなる。帰国して濃密な親子関係に戻る彼女たちの、代打ももうすぐ終わる。

https://www.youtube.com/watch?v=NDj6dDT3zyE