安易

 フーテンの寅さんではないが「それを言っちゃあおしまいよ!」だ。
 今夜も、ズームで漢方の講演会があったが、講師の先生が昔大学病院に勤めていた頃、研修医の若い先生が「頭痛がよくするので、漢方薬で何かいいものがありませんか?」と尋ねてきたらしい。そこで講師の先生は「そんなときには、あんたがバンバン患者に飲ませているNSAIDs(鎮痛薬)を飲んだらいいが」と答えたらしい。するとその研修医は「あんな怖い薬は飲めませんよ」と答えたらしい。
 先生が補足していたが、国家試験の勉強の時、NSAIDsの副作用を植え付けられているから若い医者にとっては記憶が鮮明な分、警戒すべき薬になっているみたいだ。だが実際に診療にあたるととても安易に鎮痛薬を出す。患者も一瞬痛みから解放されるから何か病気が治っているように錯覚して、ついつい依存してしまう。ところが体のゆがみを修復してくれるわけがないから、若者以外は元の木阿弥だ。
 自分が怖くて飲めない薬を患者に出すのは、恐らくよくあることだと思う。その最たるものは心の病の分野だろう。物質としての病でないから症状はすべて推し量るもの。推し量る方も推し量られる方も、ほとんどだいたいの世界。
 患者は藁をもつかむ心境だから、決して否定はできないし、それで救われている人もいっぱいいるから、否定しているのではない。しかし、性格を病気に置き換えて薬物治療をしているケースが多いのではと感じることがよくある。処方箋を持ってくる人に、僕が漢方薬を作っている人に対するような応対が出来ないから歯がゆいが、「そんなにパレスチナのことが気になるんか?」で噴き出してくれる人が多い。その後「もっと世界的なことで悩まないと駄目ですね」と言ってくれた人も数人いる。精神病薬より良く効きそうなのだが。

【青木理・自民の巨額裏金で分かったこと/強権的な権力は必ず腐る/検察追随だけの反省なきメディア(司会・尾形×望月)】⚫️The News⚫️スピンオフ - YouTube