普段着

 僕を、嫁さんに先立たれた初老の男と思ったのか。嫁に逃げられた老人と思ったのか。家のない男が、有り金をはたいて食べ物を買いに来たと思ったのか。若夫婦に追い出された男と思ったのか。隣のパチンコ屋で1日時間をつぶした男と思ったのか。
 夜の9時半ごろだった。ゆめタウンの魚売り場で刺身を買おうとしたら、広い陳列台の上に一つだけ残っていて、それに手を伸ばしたときに後ろから「お客さん、ちょっと待ってください」と声をかけられた。年配のエプロンを付けた男性が、僕が手にした刺身を取ってカチッとラベルを貼りなおした。僕が手にした時は380円だったのだが、その男性のおかげで180円になった。僕はそうした光景に出くわしたのは初めてだったので「すみません」とお礼を言ったのだが、果たして新鮮なのかどうか一瞬にして不安になった。男性がいなくなって賞味期限を見ると当日中に食べなければならないものだった。
 あまり嬉しくもなかったが、家に持ち帰り妻に見せると、あまりの安さに妻も興味があったのか、ラベルを確かめていた。すると何と張られたラベルは計4枚で、上から1枚ずつはがしていくと、最初に張られたものは680円だった。どういったタイミングで値段が下げられたのか分からないが、下げても下げても売れなかった最後のものを僕が買ったことになる。
 口にしてみると特段変わった感じはなかったが、妻は2切ほど恐る恐る食べていた。僕は腐っていないことが分かったので美味しく頂いた。
 その夜、僕は30年以上前に、少年サッカーチームの指導者のユニフォームとして作った青いジャージの上着に、それもまた何十年前に買ったバレーボールをするための黒いズボンをはいていた。片や上着が、片やズボンが破れて相方をなくした同士だが、異色の組み合わせでもある。またどちらも今では経年劣化で破れる寸前、色褪せの二重苦だから、みすぼらしさのオーラに包まれていたに違いない。
 普段着で出かければこんな恩恵が得られる。ゆめタウンさん。ありがとう。