閾値

 僕の薬局が建っているところは岩盤の上だから、今日、瀬戸内海中部を震源とする地震では全く揺れずに気がつかなかった。偶然数時間後にインターネットで地震があったことを知った。そして数時間後でも、震源愛媛県と見出しに出ていたので怖くなった。何故なら愛媛県には伊方原発があるのだ。正にそこで地震が起こったのだから、福島の原発事故を思い出してしまう。地震の数時間後に知っただけでも怖かったのだから、福島を始め東北や関東に住んでいる方々は怖かっただろうなと思う。見えない、臭わない、触れない物相手に本当に恐怖だろう。どこに逃げればいいのか、どこに身を寄せて空気をできるだけ吸わない様にしたほうがいいのか分からないのだから。
 もし本当に事故が発生したら、原発を進めて来た人間、政治屋や誘致に奔走した人間や電力会社の人間には命を持って償ってもらわないとだめだろうな。たった少し揺れただけでこの恐怖なのだから、放射能が漏れ出したときの恐怖は計り知れないだろう。当然それに続く実害の規模の大きさを考えれば、携わった人間達は命以外では償えない。直接間接を問わず何百万人もの命を奪うのだから命は保証されない。正義より自分達の立身出世が優先する司法で裁けないなら、住人の怒りが執行するだろう。打ち首獄門か、磔の刑か。
 いくら大人しいこの国の人間でも、さすがに自分の命や家族、友人の命を危険に晒されたら怒るだろう。バス代が上がっただけで、石油代が上がっただけで、犯罪を犯せば中国に連れて行かれる法律が提案されただけで、よその国の人は命がけで戦うのだから。この国の人々の怒りの閾値は何十万か、何百万か。