変化

 牛窓も牡蠣の養殖が盛んだが、牛窓より東にあるその町も盛んだ。そこで養殖をやっている方が牡蠣剥きとしてベトナム人を雇った。この冬5人雇ったら既に2人が失踪したそうだ。今まで失踪劇は中国人の独壇場かと思っていたが、ベトナム人お前もかになってきた。低賃金でよく働くことを買われて雇っているのだろうが、逃げられたらおしまいだ。恐らくかなりのお金をブローカーに出して来てもらっているのだろうから、元は取れなかったかもしれない。逃げたベトナム人はどういった資格でこれから日本に留まるのかしらないが、そうした人間がうじゃうじゃ身の回りにいることになる。個人としての好評価を最早国として覆しているから、良い印象を持たれることはこれからはないだろう。
 20万人が日本にいるのだから、コミュニティーは出来上がっている。ありとあらゆる情報が行き交い、欲望の坩堝と化しているだろう。雇い入れた漁師はこれからは中国人とベトナム人を半々にすると言っていた。ひとつの国で占められると今回のようなことが起こりやすいというのだが、そんなことで防げるとは思えない。日本人をどうして雇わないのと言うと、日本人の倍ほどベトナム人は牡蠣を剥くのが早いそうだ。そしてその倍の速さが中国人なのだそうだ。これでは日本人は太刀打ちできない。アジアの人を雇うのも頷ける。ただしその先、大きなものを失うのは見えている。それも取り返しがつかないほどのものを。ヨーロッパを見ていたら分かる。アメリカを見ていても分かる。
 真面目でよく働き親切、そして教育を受けている人が多い。ついこの前まで申し分のない評価を得ていたのに、今は見る影もない。個人の努力ではどうしようもない評価が確立されつつある。明後日家を出て行くベトナム人女性2人にした親切をこれから他のベトナム人にできるかと言うと自信はない。もうここまでで打ち止めにしようと思わなくはない。ただしまだまだ純朴な人が多い牛窓工場で働くベトナム人を見ていると、親切にして上げなければと葛藤する。もう既に変化は始まったのだ。ベトナム人だからではなく、〇〇さんだからに。