苦手

 内容はおろか、使われる単語にもついていけないから、この手の題材は苦手だが、あの日以来迷惑メールが仮想通貨一色になったから、皆さんと共有できると思う。
 あの日とは、少年のように見える若い社長が出てきて、謝っていた日だ。仮想通貨はビットコインと言う名前しか知らなかったが、他にも色々あるらしい。実物がなくて価値観だけ共有しているものなのかどうかは分からないが、僕にはそう思える。だから道には落ちていないだろうし、誰かの財布からも盗めないし、水にぬらしても火で燃やしてもなくならないのではないか。そんな幽霊みたいなものに莫大な価値を見出すのだから、人の信頼感と言うのは測り知れないものがある。人間不信はなはだしい現在に、仮想のものを信じるのだから本末転倒だ。
 つい先日、ニュースで、若い女の子が高級そうな場所で酒を飲みながら「寝ている間にお金がどんどん増える」と豪語していたが、今ならどう話すのだろう。働かないのにお金が増えるなんて不自然には感じないのだろうか。そんな環境にいたら人間性をどれだけ破壊するのだろうと思ったが、あの女性は、ひょっとしたらそれ以前から破壊されていたのかもしれない。
 頭を下げた社長は、保証は現金ですると言い、なんと500億円以上は会社にあるようなことを言っていたが、もし本当にあるとしたら、どうやって稼いだのだろう。わずかの年数でそれだけ稼いだとしたら、それだけのお金を手元から離した人がいるはずだ。何も製造していない人がもしあれだけの金を稼いだとしたら、何を人様に提供して代価を得たのか僕には分からない。僕らは物との交換、或いはサービスとの交換でお金を払うが、仮想通貨って何で報酬を得るのだろう。
 年末から年始にかけて、僕は人生の終わり方について毎日のように考えていた。色々なテーマについて考えていたが、このお金については「もういらない」「少しばかり持っていて何になるの」と言う結論だった。使い道に困るような経験はしたことがないが、使い道がない生活はいいものだ。「自由って言うのは失うものが何もないことさ・・・・・・・・・」段々僕も近づけている。若い頃何百回も口ずさんだあのフレーズに。