住宅展示場

 最近岡山市にある住宅展示場が更地になっていることに気がついた。つい数ヶ月前に同居しているかの国の若い2人を連れて行ったばかりなのに、その後すぐ閉鎖されたことになる。2人にそのことを話すと「家はどうなりましたか?」と、不思議そうな顔をした。それはそうだろう「こんな家に住めたら私死んでもいい」と言わしめたくらい立派な家々が全部解体されたのだから。「その家、どうなりましたか?」と尋ねられても僕には知識はない。「どうしたんだろうね」となんとも頼りない返事しか出来なかった。
 かの国の経済状態などをあまり知らないから、住宅展示場の家々がどのように見えるのか分からなかったが、その表現で、現在の格差は想像がついた。住宅展示場は、贅を尽くした作りになっているから余計衝撃的だったのだろうが、下手な観光地に行くより彼女達には受けた。
 そこで、その後岡山県でもっとも大規模な住宅展示場に2組のかの国女性たちを連れて行った。30棟はあるのだろうか、最初の家に一歩足を踏み入れたところでまず歓声が上がる。「なんて言う事でしょう」みたいに穏やかなものではない。目を丸くするといってもいいかもしれない。それぞれがそれぞれの驚きの表情を見せる。恐る恐る、探検隊宜しく見て回るが、携帯を取り出し写真をとる女性も多い。
 つい最近、全国の展示場が苦戦していると言う記事を読んだ。訪ねる人がどっと減ったらしい。収入が伸び悩んで、あまりにも豪華仕様の家が参考にならなくなったとか、スタッフが付きまとうとか複数の理由が上げられていた。確かに、昔、冷やかしではなく、家作りの現役世代の頃はもっと賑やかだったような気がする。だからかもしれないが、今は初老の人間と、いかにも低収入と分かる東南アジアの若い女性たちのペアでも、数の内、にぎやかしとわかってくれて親切に応対してくれる。それに甘んじるわけではないが、誰も客がいないより、人の気配がしたほうが他の客も入りやすいだろうと、勝手な理屈をつけて堂々と見て回っている。
 こんな立派な家を建てれる人はそんなにいないだろうと思いながら見ているせいか、夫婦らしき若いカップルがたまにスタッフとテーブルを挟んで相談している光景に出くわすと、「前のめりするなよ」と声をかけたくなる。現代は必ずしも健康は保証されないし、会社の存続も保証されない。あまりの豪華さに魂を奪われるのはいいが、通帳の残高まで根こそぎ奪われてはいけない。「こんな家に住めたら死んでもいい」がいつの間にか「こんな家に住んだから死んだ」に変わっては元も子もない。