住宅展示場

 ここまでの表現をするとは思ってもいなかった。今まで色々な援助をしてきたつもりだが、この圧倒的な感激の前には、僕のしていることなどたいしたことではないのだろう。現場で聞いた言葉ではなく、帰りの車の中で次女が教えてくれた。  今日教会の帰り道、岡山市内の中古のオートバイ販売店を数箇所見に行った。生憎どのお店もお盆休みで見ることが出来なかったのだが、三女が住宅展示場の前を通りかかったときに、「ここは何ですか?」と尋ねてきた。説明すると興味を示し「無料ですか?」をクリアすると、次女も是非見たいと言った。オートバイを買うという本来の目的が果たせなくて、時間に余裕もあったし、僕自身も何十年ぶりかの住宅展示場見学で興味もあったので3人で乗り込んだ。  10棟くらいが展示されていたが、最初に入った建物ですぐに度肝を抜かれた。30年前の展示場の建物とは根本的な違いがあった。嘗てのは暮らすことが出来ればいいというかなり合理的な建物ばかりだったが、今のは遊び心、いや違う、豪華?いや余裕?どの言葉で表現をすれば的確なのかわからないくらい嘗てとは趣が違っていた。30年の間に住宅はこんなに変化したのだと驚いた。その驚きは、時代遅れの邦人の域を出ないが、彼女達の驚きは想像を絶するものだったようだ。その事がわかったのが帰りの車の中での会話だ。三女が次女に「あの家に住むことが出来たら死んでもいい」と言ったらしいのだ。恐らく母国語で言ったのだと思うが、展示場の豪華なつくりに圧倒されたのだと思う。まだまだ経済格差がかなりあり、嘘か本当かしらないが、彼女達がよく口にする50年先を歩んでいる国の家だから、嘗て僕たちが映画の中で見たアメリカの家に対する憧れに似たものがあったのだろうか。まして御存知の方も多いと思うが、住宅展示場の家は、デモンストレーション仕様で豪華なつくりになっている。今日見たのも、上は1億円、下でも5000万円だった。実際に日本人が建てる家の相場は2200万円くらいだと正直に教えてくれたから、今日娘達が見たのは、正に夢のマイホームなのだ。  驚きと感嘆とため息が激しく交錯する見学だったが、「今度お母さんを連れてくる」と2人が言っていたのは何を意味しているのだろう。「買う気もないのに又行くと帰れと怒られるよ」と僕が助言したことへのしたたかな策略か。