引き出し

 こんなに身近なことで、こんなに喜んでもらえるとは思わなかった。僕が男だから考えられなかったのだと思う。、  3ヶ月の期限で来日している6人の中の1人が運悪く盲腸になって手術を受けた。その女性が権利を持っていた四国の和太鼓のコンサートにいけなかった。日本食が食べられないその女性の為に、ホテルのバイキングまで予約していたのに、残念だった。その女性だけが他の5人より1度お楽しみが少ないことが気にかかっていたので「何か希望はない?」と尋ねた。するとどこかに行きたいという返事が返ってくるのかと思ったら「着物を着てみたい」と言う返事が来た。  意外だった。僕には全くその種の発想はないから、物足りなかったが、その目は輝いていた。夏だから着物と言うわけにはいかないが、浴衣なら着せてあげることは出来る。その場で他の人の希望を聞いたら5人が是非着物を着てみたいと言った。僕は妻の浴衣をイメージしていたから、次々に着せて写真を撮ればいいと思っていた。ところが妻はそのようには考えなかったみたいで、薬局に来る人に浴衣を貸してくれないか尋ねていた。あっという間に5着を手に入れることが出来た。これなら確かに全員が1枚の写真の中に収まることが出来る。そうしないと一緒に来日した思い出が半減してしまうだろう。  1人、また1人と着付けが完成すると、早速モデル宜しくポーズをとって写真をとりまくっていた。僕は能がないからその場で手持ち無沙汰にしていたのだが、彼女達の喜びようが臨場感を持って伝わってきたので、とてもこの企画に満足した。ひょっとしたら富士山や京都と同じくらい日本に滞在したという証明になるのではないかと考えた。  この身近で手ごろな武器を今後大いに利用しようと考えた。そこで浴衣を着たまま寮に帰らせたらどのような反応を、他の者がするのだろうと興味を持った。だから僕の意図を明かさないまま浴衣のまま寮に帰るように勧めた。彼女達もサプライズを仕掛けたかったのかすぐ賛成してくれた。  案の定、皆が集まっているホールの戸を開けた瞬間に大歓声が沸き起こった。その声の大きさでこれを恒例行事にするべきだと考えた。この種のことにまるで疎い僕には考えられなかった展開だが、これもまた日本文化の紹介の引き出しに加わった。