貢献

 どんな些細なことでも、何かの役に立てれば嬉しいものだ。今年は19羽の幼い命の誕生に我が家は貢献したそうだ。原因は何かしらないが、1羽だけ死んだそうだ。外階段の踊り場の巣の1匹が死んだそうで、そこは僕はノーマークだったから知らなかった。今日、外階段の巣のツバメが全て巣立ったことが話題になったときに娘が教えてくれた。いつからそんなにツバメを大切に思うようになったのかしらないが、外敵(カラスと蛇)から守る術を駆使して毎年命を守っている。段々カラスとの知恵比べに勝つようになって、守れる命が増えた。それに連れてツバメのほうも評価してくれたのか、巣自体が増えて、今は軒先に2個、外階段の踊り場に2個巣ができている。  先日一羽の子ツバメを救う事が出来て、僕自身の気持ちも救われた。そのことによって、別に何か良いことが起こるわけではないし、何かを期待しているわけではないが、そんな些細な善意が出来る自分が嬉しいのだ。もう経済的な欲望はないから、随分と気楽に構えておれるのだが、生きている価値を感じたり、生きる意味を感じたりすることは必要だ。それが無いと放置された日めくりのカレンダーみたいなものだ。カレンダーではあるけれど、カレンダーではない。壁に寄生しているただの紙の塊だ。  30日に、3ヶ月の応援で来日したかの国の女性たち9人を連れて神戸に行く。牛窓工場に派遣されてよかったと言って貰えれば嬉しい。二度と会うことがない人達だが、濃密な3ヶ月を過ごしてもらえた。和太鼓は勿論ベートーベンも経験してもらえた。全く見ず知らずの人たちだが、よく働く人達は見ていて気持ちがいい。僕にとって彼女達は19羽の子ツバメなのだ。かけがえのない存在なのだ。誰一人欠けてはいけない存在なのだ。