面接

 逞しいものだ。僕があの年齢の頃あんなに逞しかったのだろうか。  仕事を始めてまもなくの時間帯に連絡無しに次女と三女がやって来た。授業が午後かららしくて如何にも遊びに来たと言う雰囲気だった。1時間くらい雑談をして、僕は漢方薬を作る作業に入った。すると妻が2人を近くのリゾートホテルに連れて行ってくると耳打ちをした。リマーニと言うそのホテルは、高級と言うか高いというか、地元の人間などとても利用できないレベルのもので、3人でリマーニに行くなどと言うことは考えられない。何しに行くの?と当然聞くところで当然聞くところが僕の凡人たる所以だ。なんでも、アルバイトの求人があるから面接を受けに行くらしい。  クリスマスの頃から二人は我が家の3階で暮らす。学校も我が家から通う。そうなれば今までのアルバイト先からは随分と遠くなる。学校はそのことも考慮してくれて、系列の施設でアルバイトを斡旋してくれると言っているが、自分達でどうやら探したらしい。近くて便利と言う理由らしいが、地元に住んでいる僕でも知らない求人を見つけて応募しようとしたのだ。今日来たのはまさにそのためなのだ。それなら着くなり言えばいいのに、どうも大事なことは直前に言う癖がある2人で、結構翻弄される。  結局僕は、何も知らされないまま、漢方薬を作っていた。小1時間経ってから妻だけ帰って来た。なんでも丁度いいバスが来たからホテル前からそれに乗って学校に行ったらしい。結果は、二人とも採用されたらしい。何でも英語が喋れる人が欲しかったらしいのに、かの国の言葉でも採用してくれみたいだ。あれよあれよと言う間に望みの結果を得られたみたいだが、なかなか逞しいものだという印象を僕に残した。あの頃の僕にはこんな気持ちの強さはなかったことだけは言える。異国で暮らすためには最低限必要なのかもしれない。  同列で語っていいのかどうかわからないが、ある有名大学の学生が異国で命を落とした。将来後進国のためになるような仕事をしたくて見聞のために、それらの国々を回っていたと聞くが、彼もまた並々ならぬ逞しさの持ち主だ。僕の青年時代に比べれば天地の差だ。豊かな国にも彼のような気概を持っている青年がいるのだ。しかし、それだからこそ遭遇した不幸でもある。今更僕が、のほほんとした青春期を悔やんでも仕方ないが、失う価値もないものを失うことを恐れて送っていた青春であったことだけは確かだ。それに、この年齢になっても彼らに勝るものを持っていないこともまた確かだ。