狂気

 初めて自分が高所恐怖症だと気がついたのは、大学生の頃、名古屋のテレビ塔にエレベーターで上がったときだ。普通なら眺望を楽しむことが出来るはずなのに、ガラス越しに景色が見えるところに近づいたときに恐怖を感じた。その恐怖がちょっと度が過ぎているなと意識した。  浪人の時に、大阪万博で初めてジェットコースターに乗った。直後にこれで一生こんなものに乗らないぞと決心したが、誰でも同じ決心をするものと思っていたから、その時点では高所恐怖症だとは思わなかった。テレビ塔の経験の後、高いところに上ると同じような経験を必ずした。それでもう自分は高所恐怖症だと言うことを疑わなかった。高い所に上らなければ不便はないのでそれはそれでそんなに困らなかった。ただなんとなく情けない人間のように思えて、その評価に甘んじることは、はばかれた。だから僕はあえてそうしたところに行き克服する作業を繰り返した。ところがその時は出来ても、次は出来ないのではと言う不安感から逃れることは出来なかった。  結局今の自分を支えてくれているのは、高い所が恐ろしくない人の方が異常ってことを医学雑誌で読んだことだ。本来命を守ろうとする本能に従って高い所を恐ろしがるほうが正常ってことを知ってから、高所恐怖症に関して否定的な見解を自分で持たなくなった。僕のほうが正常で、今日多くの人がテレビニュースやインターネットで目にしただろう勇敢なスカイダイバーのほうが異常なのだ。その人は上空7600メートルからパラシュートやウイングスーツを身に着けずにスカイダイビングし、地上に設置されたネット(30メートル四方)へ着地した。なんと彼には妻も子供もいると言うから、自信はかなりあったのだろうが、それを勇気と表現するのだろうか。今までの僕ならその表現に異論はないが、あの医学雑誌を読んでからは、むしろ狂気と呼びたい。  人間には色々な生理作用を与えられているが、そのほとんどは人類が滅ばないためのものだ。日々遭遇する些細な体調のトラブルも、何年に一度の体調のトラブルも、結局は生き延びるための試練みたいなものだ。命を守ってくれる体調不良にまで感謝できたら、永遠の命をもらえそうだ。