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◇業務上過失致死傷罪で在宅のまま東京地裁に 2011年の東京電力福島第1原発事故を巡り、東京第5検察審査会から起訴議決を受けた東京電力勝俣恒久元会長(75)ら旧経営陣3人について、検察官役に指定された弁護士が26日午後にも、業務上過失致死傷罪で在宅のまま東京地裁に強制起訴する方針を固めたことが分かった。 第5検審は昨年7月、旧経営陣3人について「万が一にも発生する事故に備える責務があり、大津波による過酷事故の発生を予見できた。原発運転停止を含めた回避措置を講じるべきだった」などとする起訴議決を公表。3人が事故を未然に防ぐ注意義務を怠り、福島県大熊町の双葉病院から避難した入院患者44人を死亡させ、第1原発でがれきに接触するなどした東電関係者と自衛隊員ら計13人を負傷させたと認定した。事故後、福島県民らで作る「福島原発告訴団」が旧経営陣や事故対応に当たった政府関係者を告訴・告発したが、東京地検は計42人全員を不起訴とした。告訴団が審査を申し立て、第5検審は14年7月に3人を「起訴相当」と議決。再捜査した地検は15年1月、再び不起訴としたが、第5検審が起訴議決を公表した。同様に告訴・告発され不起訴になった旧経済産業省原子力安全・保安院元幹部と東電実務担当者ら計5人についても東京第1検審が審査している。

 在宅のまま?頼むから刑務所に入れて。そうでないとこの国では政治屋と結託している忌業人は何をやっても捕まらないことが定着してしまう。そしたらますます奴等は図に乗って、金のためにやりたい放題をしてしまう。政治屋も検察も裁判官も皆お友達だから、裁かれるのは庶民だけだ。パン一つ盗んでも、原発で人の命を危険にさらしたり、土地を捨てさせたりするより罪が重いなんて事がまかり通る。なんら罪も犯していない人を何十年も刑務所に入れた奴らでも、蜂に刺されるほどの痛みすら与えられないのだ。世の不公平も極まって、武士の時代かと思わず錯覚してしまう。そのうち士農工商も形を変えて復活するのではないか。新たな差別も作り出すのではないか。  数日前の毎日新聞の朝刊にある対談が載っていた。なんだか難しかったのであまり頭に残っていないが、一つだけ強烈に印象に残った言葉がある。不幸な事故などの現場に遭遇したときに、昔の日本人なら絶対しなかったことがある。それは被害者に向けてシャッターを切るってことだ。正確な表現を忘れたが、嘗てなら誰一人としてしなかったことと言うような表現だったかもしれない。とにかく「0」なのだ。ありえないのだ。そこまで倫理は確立していた。してはならないことを知っていたのだ。  それがどうだ、いまや不幸な被害者に向かって沢山のカメラが好奇心のシャッターを切る。むしろ不幸を喜んでいるかのように、不幸との遭遇によるシャッターチャンスを喜んでいるかのように。  僕は下心を持って美しい国と称えない。他の多くの白人の国のように、爆買する国のように、将軍様を仰ぎ見せられる国のように、僕と化した庶民がお互い首を締め合う醜い国の入り口に立っていると思う。