風土

 「弟はここの風土に守られたような気がします」と数日前に葬儀を済ませたお姉さんが言ってくれた。ここの風土とは牛窓のことで、温暖な瀬戸内地方を言っているのだろうが、土地の人に親切にしてもらったと言う意味も含んでいるみたいだ。だから僕みたいな人間にもわざわざお礼を言いに来てくれたのだと思う。ただ、僕は親切ではなく単純に気が合っていただけなのだが。  もう随分長い間牛窓で暮らしているから、牛窓で育った人が中年になって帰って来ているのかと思った。むしろお父さんとの付き合いが深かったから、そう言えばいつからいたっけと言う感じで僕の前に現れた人だが、いったん認識してからは、関西人特有の表では茶化しながら、本心は冷めた視点が共通し、なんとなくたまに会って短い会話を交わすのは心地よかった。  牛窓に来たのは、病気をして転地療法を兼ねていたらしい。定年で先に牛窓に帰っていた父親を追ってきた格好だが、病気が理由だった。そのせいで家族と別れたらしいが、牛窓の気候が合っていたのかお姉さんも驚くほど回復して、仕事にも就いて、長い間働いた。結局定年まで働ききって、昨年から暇をもてあそんでいたが、それらは温暖な気候のおかげらしい。結局、大きな手術のあとほぼ回復して20年近く牛窓で社会生活を営みながら、逝ったことになる。決して誰とでも仲良くなれるタイプではなかったが、お姉さんに「地域の役をさせてもらって皆さんと会話ができるのも楽しみにしていました」と意外なことも教えてもらった。  この数ヶ月姿を見なかったが、急に体調を崩したみたいで、最後の頃の様子をお姉さんが色々教えてくれた。さすがにしんどかったのだろう、兄弟の前ではいつものボケは見られなかったらしいが、それでも僕はなんとなく幸せのうちに逝ったのではないかと感じた。まだ元気な頃に「俺が死んだら、土地と家を買ってや!」と冗談か本気か分からない様に言われ、ボケ専門の人間の中を一瞬垣間見たような気がした。まったりした関西弁を駆使し、衝突を避ける天性の才能は、漁師町の鋭い突込みをも萎えさせたが、迫り来る死の姿を彼はどう受け止め、どうぼけたのだろう。その道の達人に教えておいて欲しかった。