距離感

「お父さん、お母さん、こんばんは。〇〇です。覚えていますか?久しぶりです。お元気でか?今は薬局の仕事が忙しいですか?私はそろそろ帰国する時間になります。明日は十時半に出発します。日本での三年間で、皆が優しくしていただいて、本当に良かったです。お父さん達のお陰で、私達は新しい場所の生活に早く慣れ、安心で過ごすことが出来ました。いつまでも皆に優しくして下さい。^ - ^ 。今までお世話になっており、ありがとうございました。お父さん、お母さんのご健康とご多幸をお祈りいたします。では、失礼致しました。〇〇より。」  奈良県の大学に留学していた女性が帰っていく。この距離だから、県内のかの国の青年達とは違い、適度な距離感があった。だからこうしたメールが来ても寂しくて涙を流すこともない。むしろ、こんなに上手く日本語で文章を書く事が出来るようになったのかと、そちらのほうが嬉しい。特にこの女性は、多くの留学生と同じように「留学生と言う名の働き手」として稼ぐためにやって来た人だ。それが学校で授業を受けるに従って、日本語の魅力に取り付かれ、勉強を懸命にした女性だ。グループで泊まりに来たり、僕が訪ねたりして数回会っただけだが、信念めいたものを持っていて、時折鋭い眼光に急変する。特にベトナム戦争の話をすると質問攻めにあった。自分のおじいさんが実際にアメリカと戦ったみたいだから、日本人の評価をとても気にしていた。僕ら世代はリアルタイムでベトナム戦争を見ていたから当たり前なのだが、ベトナム戦争について詳しいことに驚いていた。彼女にとってそうした日本人が珍しく、興味深かったのだろう。  「いつまでも皆に優しくしてください」は、いつまでも皆に優しくされているからできる。彼女もそうだった。覚えたての日本語で精一杯ジョークを言い懸命に場を盛り上げていた。会うたびに「美人の〇〇です」とおどけていたが、懸命に異国で学ぼうとしている姿は、本当に美しい姿だった。  たった数時間で暮らす国が違う。僕らの時代ではありえない暮らし方で、自分自身も他者も幸せにして欲しい。