難聴

 スマホで音楽を聴いている人の中で10億人が難聴になる可能性があるらしい。大音量で長時間聴くからだそうだが、当たり前の話だ。都会の騒音の中で音楽を聴くと特に大きな音を必要とするから影響は大きいらしい。  このニュースを聞いていて一つ解決したことがある。しばしな見かける光景がいったい何をしているのか分からなかったのだが偶然今日解決した。電車の中で、或いは歩いている人で、或いは自転車に乗っている人で耳にイヤホーンをさしているのを目にする機会が多かったが、僕はてっきり勉強しているのだと思っていた。ところがニュースによると、それらの多くの人は実は音楽を聴いていただけみたいだ。大切な聴力を犠牲にしてまで聴く価値がある音楽っていったいどんなものかと思ってしまうが、むしろ単なる無知なのかもしれない。若くして、一部の機能が老人になる辛さが想像できないのだろう。全ての機能が老化し始めている僕からすればまことにもったいない話だ。  僕はしばしば思うことがある。いったいどれくらい大切なものを犠牲にしてまで消費者でい続けるのだろうと。消費しなければ、手に入れなければ防ぐことが出来る不幸はいくらでもある。不自然きわまるものに大金をはたいて、似非何々を手に入れる。懸命に働いて手に入れたわずかばかりの収入をそんなものに吸い取られて気がつかない。近寄らなければ防げた事故や事件と同じように、手に入れなければ防げた不幸も多い。これでもかこれでもかと生活の糧を奪い取られて身も心もやせ細っていく。そしてそれはやがて国の予算かと言うくらいの巨万の富になって少数の人間を潤わせる。  無くてもいいもので囲まれ、無ければならないものを枯渇させる。富める者から富めない者まで、人間って罪な生き物だとつくづく思う。