濁流

 僕がもし今気に入った曲を見つけて、その音楽を楽しみたいと思えばやはりCDを買うしかないのだが、今やそのCDの売り上げが60%も落ちているという。原因はやはり携帯電話で、携帯だと直接音楽が聴けるのかな?取り込めるのかな?携帯を持ってもいないし使ったこともないので、この辺りの詳細はニュースだけでは理解しきれなかった。細かいことは分からないが要は携帯のおかげでCDまでもが売れなくなったって事だ。携帯は今や何でも出来る道具になっているらしいから、今まであった生活関連の道具を駆逐している。関係ないみたいだが、それに要するお金で若者から車まで遠ざけている。携帯一つでいくつもの道具の機能を代行できるようになったのだろう。何処まで進化し、何処まで周辺を駆逐するのか空恐ろしいものがある。あんなに小さい機械で空まで飛べそうな勢いだ。機械の原始人の僕からすればとんでもない世界だ。いったいその業界はどのくらいの就業者を増やし、その他の関連会社の就業者をどのくらい減らしたのだろうかと思う。栄枯盛衰を日々目の当たりにしてとんでもないスピードで時間だけが流れていることを知る。取り残される恐怖は僕ら世代はもう諦めに似て感じないが、若い人達にとっては死活問題かもしれない。失うものに手を差し伸べる余裕もなく、ただただ上流から流れてくるものをすくい上げることで必死なのではないか。あらゆるものも巻き込んで押し迫ってくる濁流に僕には見える。木々の中を流れる清流でもなく、メダカを追う水温む淀みでもなく、怒り狂った濁流に見える。  立ち止まって耳を澄ますことも、立ち止まって見上げることも、ましては、寝転がって両手両足を伸ばすこともはばかれる刃物のような時間に、つま先だって歩くことを強要されている現代人が見える。時代遅れと言われようが、鼓動を追い抜いて生きることは誰も出来ないしさせてはいけない。かけがえのないものは、かけがえのないものだけのためにあるのだから。