洗脳

 小学6年生にもなると、大人に使うような単語を使って話しても結構通じるのだと言う印象を持った。だから懸念していた危険ドラッグの授業も、つつがなく終われたと思う。わずか6人の学年だから全員参加してもらって、思いを語ってもらった。僕は単なる司会だったのかもしれない。僕の思いは十分伝わったみたいで、最後に先生が全員の感想を述べる機会を与えてくれて、それを聞くことができたが、十分理解してくれているみたいで、達成感を与えてくれた。  ただ、今日の貴重な経験から感じたことがある。それは子供って本当に染まりやすいんだと言うことだ。僕が期待していた通りの感想を全員が述べる。勿論それこそが僕の今日の実績なのだが、それが徹底されると少し気持ち悪いと言う感情も起こった。僕には何の私欲もないから、客観的な事実を伝えたが、若し仮に何らかの意図を隠して話しても、同じように全てを受け入れてしまうのだろうかと不安になった。日々子供たちに接している学校の先生の質の担保が本当に大事だと思った。まだ何も描かれていないキャンパスに筆を走らせる時のような緊張感を、授業を終えてから覚えた。  子供たちを国が、組織が洗脳してしまうことは世界中で行われていることだ。民主主義を標榜していようが、共産主義を標榜しようが、独裁国家であろうが同じようなものだ。五十歩百歩、大なり小なり、どんぐりの背比べ。未来に責任をもてない大人は、未来に貢献できない大人は去れ!・・・・そして大人はいなくなった。