道具

 「福島第1原発事故で福島県内から京都市内へ自主避難し、東京電力に損害賠償を求めて京都地裁へ提訴した40代男性が賠償金の仮払いを申し立てた仮処分の決定で、京都地裁が東電に月額40万円の支払いを命じたことが25日、分かった。決定は20日付。東電によると、原発事故賠償で裁判所が避難者への仮払いを命じる仮処分決定を出すのは全国初」  裁判所は、裁判官は、いつも国寄りの判断を下す。それはそうだろう、裁判官になれるような人間は、恐らく受験の勝ち組だから、幼いときからまるで隔離されるように同じ志の子供達、実際は親たちの関わりの中で育つ。余程異質な環境からその仲間に入れた優秀な子以外には、恐らく同じように環境に恵まれた人達の中で育つ。そのほとんどは、今の権力構造の支配する立場に近いような人が多いだろうから、逆の立場の人のことなどは理解できないだろう。僕が、庶民が、上流社会のことが理解できないのと同じだから、逆も真なりと言うことを庶民はもっと理解しなければならない。そうでないと、体よくあしらわれて、かけがえのない人生をまるで道具のように送ってしまうことになる。僕らは力を持っている仲良しグループの都合のよい道具ではない。  そうしてみると、今日の判決は、いや数日前の経済よりも人格の方が大切だと諭した地裁の判決から、少しまともな判決を書く裁判官が出てきた。塾にも行けず、苦学して裁判官にでもなった人がいるのだろうかと思えるほどだ。恵まれすぎた少年期や青年期を送った人にあんなまともな判決は下せない。  苦渋の選択をして福島を自主的に離れた人達の全員が裁判を起こして欲しい。今もぬくぬくと暮らしている加害者の前では人の良さは通用しないから。