貢献

 備前市牛窓を少し大きくしたようなものだろうか。何となくまとまりがなく、象徴的な一角がない。どこに行けばいいのだろうか、どこにいればいいのだろうかと居心地はあまり良くない。そんな町のお祭りをわざわざ見に行ったのは、岡山市に住んでいるかの国の青年達が、備前の祭りに参加する同胞を訪ねたいからと希望したからだ。そうでもないと僕がわざわざ聞いたこともないお祭りに行くはずがない。案の定そのお祭りは、例えば牛窓で言うと小さな部落単位の単発ものでしかなかった。どこかの部落のお祭り、その程度だった。ただそのお祭りを盛り上げる力の一端を、その町に住んでいるかの国の青年達がになっていたのは明らかだ。重たい御輿を担ぐ役割も然り、屋台でフォーとか春巻きを売る役割も然りだった。片言の日本語で呼び込みをし、良く流行っていたから貢献度は大きかったのではないか。  地方都市の小さな工場の働き手としていなくてはならない存在になっているのは、60人くらい集まっていたことが象徴している。ただ最早それだけではすまず、文化の担い手としても必要とされつつある。そのうち本家本元に取って代わるのではないかと思われるくらいの勢いを感じた。○○村というのが、多くの地方都市に出来るのではないか。大都会にはエリートが外国から集まり、地方都市には肉体労働者が外国からやってくる。  かの国の人に言わせれば、かの国は若者ばかり。この国は老人ばかり。頂点を極めたからには落ちるしかないから、それはそれでかまわないが、せめて安心して暮らすことが出来ると言うところだけは死守して欲しい。だって、徴兵制があるところから来る若者は軍隊で「殺し方」を教わりその技術を磨いてきた人ばかりなのだから。