時間給

 僕がかの国の子達に親切に出来るのは、自分自身の帰国後の学資、子供の教育費や家を建てるための資金などに充てる為に低賃金で懸命に働いていることを知ったからだ。ハッキリとした目的を持って来日しているから、彼女たちはほとんど贅沢をしない。深夜働いて、時間給が○○○円くらいらしいと息子に言ったら、彼は日本人でもそんな人は一杯いると言った。例を挙げて教えてくれたが、なるほどと頷かされた。僕の方が明らかに情報不足で、過度な同情は(僕は友情のつもりだが)逆効果かなと一瞬思った。  処方せんを持ってきたある女性と話をしていて、同じ数字で会話が弾んだ。彼女は、そのうち日本人の給料があちらの国の人達に近づくだろうと言った。僕はその逆で、早く追いついてくれれば彼女たちになんとも言えぬ後ろめたさを感じなくてすむだろうと思っていた。全く逆の発想だが、何となく彼女の方が説得力があるように感じた。資本家や肩書きを与えられる人達と、そうでない底辺労働者との差が、最早それは差別にあたるかもしれないが、格段に開くだろうと彼女は予想しているのだ。持てるものだけが富み、持たざる者達は、いや持てざる者達はいつでも使い捨て労働力として低賃金覚悟で海外からやってくる人達と置き換えられる存在になるのだろう。敢えてそうした日本人に、嘗ての日本人並の給与は保証しなくていいと経営者達は考えるだろう。  母が何十年使っていたか知らないが、錆び錆びの火ばさみに今日お暇を出して新しいのをホームセンターで買った。まだ使えるからもったいないと思っていたのだが、298円だったから、思い切って買った。何人の労働者がそれを作るために関わり、どれだけの材料を使い、どれだけのコストをかけて店頭まで届けたのかと想像してみるが、寧ろ一体どのくらいの報酬を得ているのだろうと空しさだけが残った。安いのはそれはそれでいいのだが、安すぎるのは如何にも居心地が悪い。レジで精算するときに女性が言っていた給料のことを思い出した。  ものを作る人の報酬が極端に減り、金で金を生む現場の人だけが豊になる。いびつな世がますます歪んでいく。