瀬戸大橋

 僕が家に帰ってからずっとテレビが先ほどまでいた街や海の警報を出し続けている。朝何回も天気予報を確認して計画を立てたのが功を奏して、天候が荒れないうちに帰ってくることが出来た。つい先ほど奈良県に帰ったと電話で連絡もくれた。責任を果たせてホッとしている。もっともしっかりした女性ばかりだから僕が何ら心配することはないのだろうが、それでも異国で暮らすにはハンディーを多く抱えているだろう。 1泊2日で4人の留学生が泊まりにきてくれて多くの経験をさせて貰った。短い時間だったが濃密な時間を過ごさせて貰った。その中で2つだけエピソードを紹介したい。  今回の小旅行は、一昨年まで牛窓にある工場で働いていた一人の女性が友人を連れて遊びに来ることが目的だった。当然その女性の嘗ての仲間はまだ何人かは牛窓にいて再会をとても楽しみにしていた。僕が協力したかったのは、当人は勿論牛窓に残っている女性達も喜ぶことが分かっていたから、その劇的な再会の場面に居合わせたかったのだ。案の定、その瞬間は抱き合って喜んでいた。通訳が出来る女性が5人もいるのに、さすがにその瞬間は母国語ばかりだった。  ところがそれと同時に2人のある予期せぬ再会がそこで行われたのだ。お互いは訪ねた側、訪ねられた側なのに、驚きの声をあげた。なんと、かの国で同じ学校にいた人だったのだ。方や学生として奈良県に、方や通訳として牛窓に来たのだが、当然そんなことはお互い知らない。世界の人口が何十億いて、世界の国が100いくつあって、世界の工場がいくつあって、世界の学校がいくつあって・・・・・どんな計算式の上に成り立つ確率か知らないが、二人が僕のちょっとした出しゃばりで再会したのだ。職業柄、人のお役に立てれる機会はかなり多いが、こうしたことで役に立てれるのも本当に嬉しい。それが素朴で明るくて人なつっこい女性達のためなら尚更だ。  朝早く起きて、台風の接近時間を調べている内に、今日のもてなしの内容でグッドアイデアが浮かんだ。まさに早起きは三文の得だ。早朝、傘をさして海を見に行ったら台風の接近が報じられている割に波が穏やかだったので、宇野から高松にフェリーで渡るのは危険はないと思った。船が波で揺れることもないと思った。ところが帰る時間帯にはきっとかなり波が出て船酔いでもしかねないと思ったのだ。だから僕は当然宇野港に車を置いているからフェリーで帰らないといけないが、彼女たちは瀬戸大橋を渡って直接岡山駅に行かせればいいと思ったのだ。そのアイデアをフェリーから瀬戸大橋が見え始めたところで彼女たちに打ち明けた。すると一人の女性がその案のことを何度も聞き直して手を叩いて喜び始めたのだ。かの国で歴史の先生をしていて、日本語のより高い修得を目指して来日している女性だが、インテリには似合わない喜びようだったので少し驚いた。ところが彼女が教えてくれるには、彼女はかの国にいるときに瀬戸大橋の工事のドキュメント映画を見たらしいのだ。だから僕などが知らないことを沢山知っていた。そして彼女は、あんなに素晴らしい物が作れる日本という国に憧れ、是非日本に行ってみたいと思ったのだそうだ。ところが、彼女は瀬戸大橋が具体的にどこにあるのかは知らなかった。そしてそれを探して見に行ける余裕など経済的にないから、見ることが出来ないものとしていた。ところが不意に彼女の前にその橋が遠くに、微かに姿を現したのだ。そして帰りには電車でその橋を10数分かけて渡れることを知ったのだ。その驚きがまるで子供のような仕草になったのだ。僕にとってはかの国の多くの子や僕の患者さんを案内する単なる定番だったのだが、こんなに深く理解してくれた人の感激のシーンに立ち会えたのも、今日の大きな喜びだった。  後進国の人もなんとか世界を行き来できるようになった。僕はとても良い傾向だと思う。物質主義にまだ犯されきっていない人達と接するのはとても気持ちがいい。僕の青春時代にこうした人達と会っていたら、確実に僕の生き方は違っていただろうと確信を持って言える。彼女たちの一つ一つの行動や言葉に「生きるとは」と言うテーマが僕の頭の中で乱舞するのだから。