達成感

 これ以上の喜びがあるかというような電話を頂いたのだが、電話を切った後すぐにスタッフに披露したらそれぞれの反応で、結局僕の話題は出なかった。 クリスチャンの姪は「やはり仏教の方がいいのかなあ、仏教徒になろうかな」と言い、妻は「お父さんが、全部持っていってくれたんだわ」と言い、娘は「どれだけ漢方薬を飲んだかな」と言った。同じ朗報を聞いてもそれぞれが異なる反応を見せるのが興味深いが、共通して言えるのは、そこに僕がいないってことだ。 こんなに素晴らしい人がいるんだとずっと思っている女性のお父さんが急逝された。何年もあるトラブルを抱えていたお父さんをお母さんが懸命に支えていたが、不運なことにお母さんを癌が冒していて、夫のお世話を優先していてそれに気がつかなかった。最早転移もしていたが、抗ガン剤の治療をしんどいから止めると言われた。僕の漢方薬だけにすると言われて責任は感じるが、生活の質を極端に落としてそれが本人にとって幸せかどうか分からないから、決断にまでは介入できなかった。  「癌が消えた」と連絡を受けた。とても喜ばしいことだが、所詮薬剤師でしかない僕の癌の方に対する仕事は「出来るだけ体調を良くすること」に尽きるから、これからだと身を引き締めた。病院の癌治療を自身の正常細胞を守りながら存分に受けることが出来る体にする、これが薬局の限界だ。そしてそれこそが薬局にしかできないことだ。優しいお嬢さんのおかげでも良い、仏教を職業としていたお父さんのおかげでもいい、勿論病院の治療のおかげでも良い、そこに僕の存在がなくても、あのお嬢さんの心が少しでも軽くなればそれでいい。  嬉しい報告を受けながら、達成感の得られにくい病気であることも肝に銘じた。