浮き輪

 「私なんかいつも浮き輪をしている」と、牛窓出身で今は隣の市に家を建てて出ていった女性が言うから、第三者なら何か水泳の話題でもしているのだろうと想像するだろうが、そこが一筋縄では行かない漁師町の会話だ。  僕の作ったお通じの薬でないと駄目らしいから、わざわざ定期的にやってくる。牛窓に住んでいた頃はもっと頻繁に来ていたが、遠くなってからは三ヶ月分くらいを買い溜めして帰る。そして来るたびに彼女が僕に要求することは「痩せる薬を作って」だ。お通じ以外はすこぶる元気な人だから、痩せる必要など無いし、今のままふくよかな方がはるかに魅力的だ。「自分、痩せた姿を想像してごらん、みすぼらしくなって醜くなるよ」とその都度断るが、僕が断るのを分かって尚要求を続ける。その時に出た言葉が「浮き輪をしている」発言だ。僕はその真意が分からなかったが、その後すぐに自分の脇腹を両手でつまみ前後にずらすような仕草をしたから、お腹のたるみを浮き輪に見立てての比喩なのだ。海水浴場を町内に二つも持つ牛窓ならでのジョークだ。テレビに出てくる馬鹿タレントよりはるかに面白い。ト書きの用意されていない平凡な日常に、野の草一本添えるくらいの効果もないかもしれないが、そうして生活を守ってきた人達の智恵だろう。上方のように過剰に露出されがちな笑いではないが、懸命に暮らしを立てる人達の智恵を感じる。 「自分、今日は浮き輪を三つもしてるんか」