俗語

 高名な医師と評論家が対談しているのを聞いていて、面白い言葉を覚えた。どの世界にも、外部からは見えないものがいっぱいあるが、知らなければ良かったと思うことの方が多い。  香典医療と言う俗語みたいなものがあって、死期が近づいている人に、これでもかと言うほど治療を施すのだそうだ。もし仮にそれが医療費を稼ぐためだとしても、医師は患者や家族のために出来る限りのことを施したと主張できるし、患者は出来る限りのことをしてあげたと悔いを残さない。両方にとって利害が一致している。ただその対談でその医師が、折角枯れるように亡くなっていこうとしている人に、あらぬ限りの点滴をし、まるで溺死のように水浸しにして苦しませていると言っていた。 僕はそうした現場を知らないから、そんなことがあのかと驚きながら聞いていたが、なるほど父の場合がそうだったのかもしれない。人工呼吸器で呼吸しているだけで、意識があるのかないのか、身体を動かすことも出来ずに、半年くらい寝たままだった。意思表示をすることが出来なかったから、確かめることは出来なかったが、ひょっとしたら味わわなくても良い苦痛を味わわせたのではないかと思った。 専門家というものが如何に胡散臭いか露呈したのが福島の原発事故だったが、同じようなことはありとあらゆる分野で行われ、そうした意味に置いては聖域など存在しないのだと確信できる。