距離

 お昼前の時間帯に息子から電話がかかって来るようなことは、この10年間考えられなかった。休みがあるのかないのか分からないような生活で、四六時中仕事に追われているような印象を持っていた。 昨日の電話は違っていた。急かされるように用件だけを話して終えるのと違って、ゆっくりと患者さんの情報を話してくれた。初診の患者さんらしいが、今までよその病院の現代医学では難儀していたらしくて、息子は漢方薬しかないと判断したのだろう。そこで僕に相談してくれたのだが、長いこと待っていた環境がやっと実現する予感がした。  東洋医学には触診とか舌診とか腹診とか、五感を総動員した診断方法があり、大家と呼ばれる人は後生大事に未だその診断方法を重要視しているが、所詮それらは科学が未発達な時代のやむにやまれぬ診断法だ。それらの極意をもってしても現代の診断技術には勝てやしない。足許にも及ばないだろう。僕は、確かな現代医学の診断で確定された病名があって、確かな効果を発揮する生薬を選択することで初めて、満足のいく漢方治療が出来ると思っている。後者は僕が30年間勉強したことでかなり確率は上がってきたが、前者は医者の独壇場だ。出来れば僕が自由に介入出来る形で漢方治療が出来る環境が用意されたら素晴らしいだろうなと思っていた。  息子から情報をもらってから1時間後に患者さんがやってきた。僕は漢方的な問診をくり返し、息子の依頼をどの処方で満足させられるか考えた。当然漢方薬の得意とする分野だったからいい結果に恵まれるとは思うがそれなりにプレッシャーはあった。早くいい結果を出し、息子の勤務する病院で僕が考えた処方が手にはいるようにしてあげれば遠路はるばるやってくる必要はない。医院の門前で顔色をうかがいながらの下請けではなく、得意分野で協力して難治性の患者さんの生活の質の改善のために役に立てたら幸せだ。「大きな病院より患者さんとの距離が近いような気がする」と言った息子の言葉を受けて「親子の距離もぐんと近くなったような気がする」と内心思った。