糾弾

 凄いとしか言いようがない。ある妊婦が福島で敢えてお産をするというニュースの中で見かけた産婦人科医院を経営しているお医者さんのことだ。自らの病をおしてと紹介されたから何だろうと思ったら、自身は大腸癌が他の臓器に転移しているらしい。それも数カ所に。恰幅がよいからその様には見えないが恐らくかなり身体は蝕まれているのではないか。ところがそのお医者さんの言ったことが「凄い」としか言いようがないのだ。インタビューに答えて「忙しすぎて自分の体調のことは1分1秒たりとも考えたことがない」と言うのだ。癌になって転移もしているのにだ。その事を聞かされてまるで動じていない、いや動じる暇もないってことがあり得るのだろうか。根っからの医者魂か、他に何か悟りを開くようなものがあったのか知らないが、並の人間が到達できる境地ではない。彼を見ていたら確かに病気だが病人ではない。新しい命を取り出すために、又妊婦達を守るために忙しく働いている。 僕の回りにはそのお医者さんのように悟りの境地に達した人がいないから、病気だが病人ではないのと逆の人ばかりだ。病気でもないのに病人になっている人ならいくらでも紹介できる。もっと言えば、テレビでやたら病院に誘導するようなコマーシャルが流れるから、病気でもないのに病人にならされる人も結構でてきた。変わったところでは病気でもないのに病人になりたがる人もいる。  若者は病気知らずなんてことを無邪気に信じていた時代は終わったのか。病名の付かない不調に翻弄され、製薬会社のコマーシャルに翻弄され、脅迫にも似た健康食品とやらに翻弄され、出口のない樹海を彷徨っている。胃液も出そうにない老人が逆流性食道炎の診断をやたら受け、内気な子が友人関係を築けないからと言って社会不安障害の診断を受ける。不自然が許されないような風潮がある。力を持っている年寄り達の不道徳こそが不自然だと思うが、力無い青年のふと逸らした視線こそがしばしば糾弾される。